今回はビニ本や裏本ではなく、
久しぶりに古本屋の話です。
私はこのブログをはじめるにあたり、
取り上げようと思っていた古本屋がいくつかありました。
そのなかでも、
私の人格形成や、その後の人生にもっとも影響を及ぼしたのが、
今回取り上げました「タンポポ書店」です。
古本屋が、
人格形成や、まして人生に影響を及ぼすことなどあるのかと、
疑問に思うかたもいるでしょう。
おそらく私とそのかたがたとは、
古本屋に対するとらえ方が違うのかもしれません。
私にとっての古本屋は逃げ場所でした。
いったい何から逃げるんだといえば、
かっこよくいうと退屈な日常です。
古本屋というエンタメ空間にしばし身を置くことで、
また日常をくりかえすエネルギーを補充できるというわけです。
そのため、
私には、古本屋はなくてはならない存在でした。
現在、古本屋はもちろん、
新刊書店の店舗数の減少が著しいことを、
私は憂いています。
しかし、アラ還となったいまの私は、
エンタメ空間がなくなることを残念に思う一方で、
今後、人格があらたに形成されることもないため、
逃げ場所がなくなったというようには思いません。
つまり、
そこまで切実ではありません。
そんなふうに考えると、
歳をとってしまったと思います。
それはさておき、
私が最初にタンポポ書店を見つけたのは、
たしか1980年~1981年ごろではなかったかと思います。
高知市の南はりまや町にあった古本屋でした。
いまはもうありません。
建物は残っているのですが、
創作料理のお店になっているようです。
かつて、
観光名所のはりまや橋がある交差点に、西武デパートがあり、
地元の人からは、「とでん西武」と呼ばれていました。
「とでん」とは「土電」のことで土佐電鉄の略です。
高知市を中心に走っている路面電車のことです。
土電を運営している、とさでん交通は、
バスも走らせており、そのバスは、
西武デパートがある場所から発着する便が数多くありました。
バスの停留所と西武デパートが、
おなじ建物で一体化していたので、「とでん西武」と呼ばれていたのだろうと思います。
そして、タンポポ書店は、
とでん西武の裏手付近にありました。
ところで、
私は小学校卒業後、地元の中学校には行かず、
高知市の西のほうにある私立の中高一貫校に通っていました。
はじめはバスで通学していたのですが、
そのうち自転車で通うようになります。
私の実家は高知市の東にありましたから、
通学は高知市の中心街を横断するようなかたちで自転車を走らせます。
学校からの帰り道は、
いろいろと寄り道をして帰るのが日課になっており、
そんななか見つけたのがタンポポ書店でした。
40年以上まえからすでに建物が古かったこともあり、
一見さんを寄せ付けないような、独特の雰囲気がありました。
あるとき、
私が店内で古本を物色していると、
学生らしきふたり組の青年たちが店内に入ろうとしており、
そのうちのひとりが「おれ、この店はちょっと……」と言って、
結局すこし覗いただけで帰っていた場面に出くわしたこともあります。
とはいえ、そんな雰囲気は、
古い古本屋にはありがちなことかもしれません。
しかし、
私は当時もいまも鈍感な性格ですから、
そのあたりはまったく気になりませんでした。
それよりも、
あたらしい古本屋を見つけた嬉しさが先行していたような気がします。
私が最初に店に行ったときは、
おばさんが店番をしていました。
そのおばさんが、
高知市内の古書店界隈ではよく知られたかたで、
名前を片岡千歳さんといい、
「古本屋 タンポポのあけくれ」(夏葉社)という本を出していることを、
平成になって以降に知ります。
タンポポ書店にかぎったことではないですが、
私は古本屋や一般の書店で、
本を物色する時間がとても好きでして、
タンポポ書店でも、せまい店内にもかかわらず、
時間をかけて物色していました。
本や雑誌は、ある程度ジャンル分けがなされていましたが、
全体的には雑然としており、
私はそんな感じが大好きというか、
とても落ち着きました。
中学、高校と頻繁に通っていましたので、
タンポポ書店にかんするエピソードはそれなりにあるのですが、
ぜんぶを書くと、
とても長くなるため何回かにわけて書いていこうと思います。
はじめは、
まずとっかかりとして、
そこそこ印象に残っていることを書いていきます。
中学生のときか高校生のときか忘れましたが、
夏休みのことでした。
その日は午後から理科の実験がありました。
夏休みの登校日に理科の実験があるのが驚きですが、
それはともかく、
実験は午後からだったので、
私は自宅をはやめに出て、自転車でゆっくりと学校に向かいます。
学校に行くときに、
タンポポ書店付近を通ることはないのですが、
そのときは時間があったので、
たまたま自転車で通りました。
時間があった私は、
すでに開いていたタンポポ書店ですこし物色していました。
すると、
ひとりのじいさんがタンポポ書店に本を持ちこんできました。
買取です。
数分後、私がタンポポ書店を出ると、
そのじいさんがいて、私を手招きします。
ちなみに、じいさんはリヤカーを引いていて、
どこからか集めた本をリヤカーに積み、
タンポポ書店に持ってきているようでした。
じいさんはなぜか普通の言葉を発さず、
「あ~」とか「う~」しか言いません。
しかし、
ジェスチャーで、私についてこいと言っていることはわかりました。
へんなじいさんですから、
無視しても良かったのですが、
なぜか私はついていきます。
途中、
何度かじいさんに、
「これから学校があるから困ります」という話をしますが、
返ってくるのはやはり「あ~」とか「う~」とかいう言葉だけです。
そのうち、
はりまや橋の交差点を越えて、
帯屋町商店街という高知市内でもっとも栄えている場所を通過。
この時点で、
おそらく30分は経過していました。
結果、最終的にじいさんがたどり着いたさきは、
高知城にほど近いところにあった「西沢書店」という古本屋。
そこでリヤカーをとめたじいさんは、
「ここにも古本屋あるで」みたいな表情で西沢書店を指差しました。
そのときの私の心の声は、
「そんなの知っちゅうわ!(そんなの知ってるよ!)」でした。
とはいえ、
私はじいさんにきちんと挨拶をしてその場を去りました。
ちなみに、西沢書店という古本屋も、
いまはもうありません。
じいさんと別れたあと自転車をとばして、
理科の実験にはなんとか間に合いました。
私はじいさんにどういうように見えていたのでしょうか。
登校日ですから、
そのときの私は学生服を着ています。
古本屋好きな学生と思われていたのか。
それとも、
古本屋に本を持ちこんで買い取ってもらっていると思われていたのか、
すくなくとも、
おなじ「タンポポ書店」の常連として、
親近感を持たれていたように思うのですが、
私は当時、15歳前後です。
盗んだバイクで走り出し、
教室のガラスを割るような風貌とは対極の、
オタク風なルックスでしたが、
じいさんの目にとまった理由をいまさらながら確認してみたくなります。
話は以上です。
このときの理科の実験で、
具体的になにをやったのかをふくめ、
学校でのことは、なにも記憶に残っていないのですが、
じいさんとのエピソードは、いまでも印象に残っています。
ところで、
トップの画像は、私の永遠の脳内恋人“三浦ルネ”さん出演の、
裏本「三姉妹」の裏表紙からのカットです。
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