おとなの妄想くらぶ

カテゴリ: 古書店

三姉妹_52

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今回はビニ本や裏本ではなく、
久しぶりに古本屋の話です。

私はこのブログをはじめるにあたり、
取り上げようと思っていた古本屋がいくつかありました。

そのなかでも、
私の人格形成や、その後の人生に
もっとも影響を及ぼしたのが、


今回取り上げました「タンポポ書店」です。

古本屋が、
人格形成や、まして人生に影響を及ぼすことなどあるのかと、

疑問に思うかたもいるでしょう。

おそらく私とそのかたがたとは、
古本屋に対するとらえ方が違うのかもしれません。

私にとっての古本屋は逃げ場所でした。

いったい何から逃げるんだといえば、
かっこよくいうと退屈な日常です。

古本屋というエンタメ空間にしばし身を置くことで、
また日常をくりかえすエネルギーを補充できるというわけです。

そのため、
私には、古本屋はなくてはならない存在でした。

現在、古本屋はもちろん、
新刊書店の店舗数の減少が著しいことを、

私は憂いています。

しかし、アラ還となったいまの私は、

エンタメ空間がなくなることを残念に思う一方で、

今後、人格があらたに形成されることもないため、
逃げ場所がなくなったというようには思いません。

つまり、
そこまで切実ではありません。

そんなふうに考えると、
歳をとってしまったと思います。

それはさておき、
私が最初にタンポポ書店を見つけたのは、

たしか1980年~1981年ごろではなかったかと思います。

高知市の南はりまや町にあった古本屋でした。
いまは
もうありません。

建物は残っているのですが、
創作料理のお店になっているようです。


かつて、
観光名所のはりまや橋がある交差点に、西武デパートがあり、

地元の人からは、「とでん西武」と呼ばれていました。

「とでん」とは「土電」のことで土佐電鉄の略です。
高知市を中心に走っている路面電車のことです。

土電を運営している、とさでん交通は、
バスも走らせており、そのバスは、

西武デパートがある場所から発着する便が数多くありました。

バスの停留所と西武デパートが、
おなじ建物で一体化していたので、「とでん西武」と呼ばれていたのだろうと思います。

そして、タンポポ書店は、
とでん西武の裏手付近にありました。

ところで、
私は小学校卒業後、地元の中学校には行かず、

高知市の西のほうにある私立の中高一貫校に通っていました。

はじめはバスで通学していたのですが、
そのうち自転車で通うようになります。

私の実家は高知市の東にありましたから、
通学は高知市の中心街を横断するようなかたちで自転車を走らせます。

学校からの帰り道は、
いろいろと寄り道をして帰るのが日課になっており、
そんななか見つけたのがタンポポ書店でした。

40年以上まえからすでに建物が古かったこともあり、
一見さんを寄せ付けないような、独特の雰囲気がありました。

あるとき、
私が店内で古本を物色していると、

学生らしき
ふたり組の青年たちが店内に入ろうとしており、

そのうちのひとりが「おれ、この店はちょっと……」と言って、

結局すこし覗いただけで帰っていた場面に出くわしたこともあります。

とはいえ、そんな雰囲気は、
古い古本屋にはありがちなことかもしれません。

しかし、
私は当時もいまも鈍感な性格ですから、

そのあたりはまったく気になりませんでした。

それよりも、
あたらしい古本屋を見つけた嬉しさが先行していたような気がします。

私が最初に店に行ったときは、
おばさんが店番をしていました。

そのおばさんが、
高知市内の古書店界隈ではよく知られたかたで、

名前を片岡千歳さんといい、
「古本屋 タンポポのあけくれ」(夏葉社)という本を出していることを、

平成になって以降に知ります。


タンポポ書店にかぎったことではないですが、
私は古本屋や一般の書店で、

本を物色する時間がとても好きでして、
タンポポ書店でも、せまい店内にもかかわらず、

時間をかけて物色していました。

本や雑誌は、ある程度ジャンル分けがなされていましたが、
全体的には雑然としており、

私はそんな感じが大好きというか、
とても落ち着きました。

中学、高校と頻繁に通っていましたので、
タンポポ書店にかんするエピソードはそれなりにあるのですが、

ぜんぶを書くと、
とても長くなるため何回かにわけて書いていこうと思います。

はじめは、
まずとっかかりとして、

そこそこ印象に残っていることを書いていきます。

中学生のときか高校生のときか忘れましたが、
夏休みのことでした。

その日は午後から理科の実験がありました。

夏休みの登校日に理科の実験があるのが驚きですが、
それはともかく、

実験は午後からだったので、
私は自宅をはやめに出て、自転車でゆっくりと学校に向かいます。

学校に行くときに、
タンポポ書店付近を通ることはないのですが、

そのときは時間があったので、
たまたま自転車で通りました。

時間があった私は、
すでに開いていたタンポポ書店ですこし物色していました。

すると、
ひとりのじいさんがタンポポ書店に
本を持ちこんできました。


買取です。

数分後、私がタンポポ書店を出ると、
そのじいさんがいて、私を手招きします。

ちなみに、じいさんはリヤカーを引いていて、
どこからか集めた本をリヤカーに積み、

タンポポ書店に持ってきているようでした。

じいさんはなぜか普通の言葉を発さず、
「あ~」とか「う~」しか言いません。

しかし、
ジェスチャーで、私についてこいと言っていることはわかりました。

へんなじいさんですから、
無視しても良かったのですが、

なぜか私はついていきます。

途中、
何度かじいさんに、
「これから学校があるから困ります」という話をしますが、

返ってくるのはやはり「あ~」とか「う~」とかいう言葉だけです。

そのうち、
はりまや橋の交差点を越えて、

帯屋町商店街という高知市内でもっとも栄えている場所を通過。

この時点で、
おそらく30分は経過していました。

結果、最終的にじいさんがたどり着いたさきは、
高知城にほど近いところにあった「西沢書店」という古本屋。

そこでリヤカーをとめたじいさんは、
「ここにも古本屋あるで」みたいな表情で西沢書店を指差しました。

そのときの私の心の声は、
「そんなの知っちゅうわ!(そんなの知ってるよ!)」でした。

とはいえ、
私はじいさんにきちんと挨拶をしてその場を去りました。

ちなみに、西沢書店という古本屋も、
いまはもうありません。

じいさんと別れたあと自転車をとばして、
理科の実験にはなんとか間に合いました。

私はじいさんにどういうように見えていたのでしょうか。

登校日ですから、
そのときの私は学生服を着ています。

古本屋好きな学生と思われていたのか。

それとも、
古本屋に本を持ちこんで買い取ってもらっていると思われていたのか、


すくなくとも、
おなじ「タンポポ書店」の常連として、

親近感を持たれていたように思うのですが、
私は当時、15歳前後です。

盗んだバイクで走り出し、
教室のガラスを割るような風貌とは対極の、

オタク風なルックスでしたが、

じいさんの目にとまった理由をいまさらながら確認してみたくなります。

話は以上です。

このときの理科の実験で、
具体的になにをやったのかをふくめ、

学校でのことは、なにも記憶に残っていないのですが、

じいさんとのエピソードは、いまでも印象に残っています。

ところで、
トップの画像は、私の永遠の脳内恋人“三浦ルネ”さん出演の、

裏本「三姉妹」の裏表紙からのカットです。

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ドキュメント 女子便所 第1集_01

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今回は、ビニ本とか裏本のことではなくて、神田神保町の古本屋について書きました。

個別のビニ本や裏本とは直接関係がない話です。

具体的には、
今年の3月に神田神保町に行き、複数の古書店を物色したときのことを、
古書店ごとに取り上げて書いていこうと思っています。

ただし、個別の古書店の名前はイニシャルにしました。

また、これから私が書こうとしていることは、神保町界隈を2時間ほど歩けば、
だいたいわかることでして、その意味においては無益な情報ですし、

そもそも、神保町に足を運ぶことがないであろう方にしても、
情報としてはあまり意味がないとは思います。

とはいうものの、このブログでは、
私の学生時代の話とか書店の話とか、いくつか取り上げてきました。

その延長ということもありまして今回、神保町を取り上げようと思ったのですが、
ご興味のある方は、最後までお付き合いください。

では、早速書いていきます。

説明不要だとは思いますが、
神田神保町というのは、東京都千代田区神田神保町のことです。

どういう歴史的背景からそうなっているのか、不勉強で知りませんが、
昔から古本屋がたくさんある地区として有名です。

私は今回、数年ぶりに行きました。
目的はエロ本とかビニ本を購入しようと思ったためです。

そもそも古本屋が異常に好きだということもあります。

都内に住んでいれば、年に何度か行きたいと思ってはいるのですが、
いかんせん現在の住まいと距離が遠くて、その頻度では行けません。

東京はとくにですが、お店の閉店開店のスピードがはやくて、
数年経つと無くなっていたりするのですが、
私がかつてよく行っていた神保町のお店たちは健在だったので安心しました。

というわけで、まず最初に「ブック D」です。
イニシャルにして気づきましたが、Dだけイニシャルにする必要ないかもしれません…。
(短距離走は、スタート〇〇〇〇が肝心ですね…。)

神保町のメインストリートだと私が勝手に思っています、すずらん通りから、
やや南にある古本屋で、神保町のなかでは新興のお店です。

女性アイドル写真集やエロ雑誌、漫画がメインのお店で、
古本屋らしからぬ明るめの外観や、
各雑誌が整然と陳列された店内の様子など、

入りやすくて探しやすい感じですし、何より価格設定がリーズナブルです。

トップ画像は、ビニ本「ドキュメント 女子便所 第1集」の表紙ですが、
このときここで買ったビニ本です。

ここ10年ほど、中古のエロ本を買うことがなかった私ですが、
このブログをやるようになって以降は、
ビニ本&裏本に関するアンテナが以前よりもはるかに敏感になっていまして、

ネットでビニ本を検索していたときにヒットしたのが、この「ブック D」でした。
といいますか、前から存在は知っていて、アイドルの写真集を購入したことはありましたが、

今回、ネット販売に力を入れていることを改めて知ったわけです。


ネットで購入してもよかったのですが、どうせなら神保町に出向いていこうと思い立ち、
複数の古書店をまわることになったという次第です。

ビニ本や自販機本の在庫はそこそこあるようでした。
ちなみにネットでも購入可能です。

続いて、
すずらん通りにある老舗の「S書店」です。
(神保町とは似つかわしくなく、海に近い場所の地名が名前に付いています。)

ここは、いかにも昔の古本屋という雰囲気のお店でして、
店内が狭く、エロ本を置いているスペースはさらにその半分。

残りの半分は文学や歴史書などの一般書籍です。

2000年代でしたか、
ロリは違法という捉えられ方が浸透していたころにもかかわらず、
レジ付近に、かの「プチトマト」をはじめ複数のロリータ写真集が陳列されていて、
驚いたことを覚えています。

しかも価格はそれほど高くなく、ヘンな言い方ですが、違法にしてはリーズナブルでした。
とはいえ、なかには1万円以上のものもあったように覚えています。

そのあとの展開がまた驚きなのですが、
2018年に児童ポルノの写真集や書籍の販売で摘発され、社長が逮捕されています。

当時、その報道をネットニュースで見た私は、
「ああ、やっぱりあそこか…」と思ったのですが、

地元の他の古書店やマニアには、
ロリータ写真集を販売していることはよく知られていたとのことでした。

というわけでして、
今回行ったときにはさすがに、ロリ系のモノはいっさいありませんでした。

陳列棚の下部を塞ぐかたちで古本が積み上げられていまして、
そのなかにビニ本がかなりあるようでしたが、今回は時間があまりなかったので、
探ることはせず、平成になって以降の裏本のカタログ的なエロ雑誌を数冊買っただけでした。

ちなみに、すずらん通りに有名な新興店がありまして、
それが「A書店」です。(ソウルフルなイメージの名前でしょうか…。)

かつてはすずらん通りに2店舗ありましたが、
1店舗のみになっていました。

2階建ての店舗で店内も広く、アイドルやグラドルの写真集にアダルトビデオとか、
販促用の立て看板とか、とにかく品揃えが素晴らしいです。
「週刊プレイボーイ」「GORO」「BOMB」など、1980年代に発売されていた、
雑誌のバックナンバーもかなり充実しています。

ただし、私はここで購入したことはありません。理由は高すぎるからです。

一方で、古本をお店に持ち込んで買い取ってもらう側にすれば、
高く買ってくれるかもという安心感はあるかもしれません。

ということで、いつもここは見るだけです。

そして続いてですが、
「@W」です。これもイニシャルにする意味はないかもしれません。

“@”を使った店名にしていることからわかるように、神保町では新興店です。

神保町交差点から、マニアの方々にはお馴染みの芳賀書店本店に向かう途中にあります。

映画のパンフレットやSF小説などが充実しています。
数は少ないですが、エロ漫画や1970年代、1980年代のアイドル雑誌などが置かれていて、
値段はとてもリーズナブルです。

ただし、純粋なエロ本やビニ本はありません。

続いて、これが最後ですが、
神保町交差点から水道橋に向かう途中にある「T」です。
(オーケストラとかで指揮者が振るモノが店名になっています。)

私が最初に訪れたときは、アイドル歌謡や演歌、ラテン音楽がメインのCDショップでしたが、

ここ数年は品揃えに変化があり、
CDのほかに、レコードや古本を扱うようになっていました。

古本のなかで目立つのはタレント本やアイドル写真集で、値段もリーズナブルです。

また、購入した金額に合わせて、
次回使用できる割引チケットをもらえるのが嬉しいです。

ちなみに、このときはピンクレディーのタレント本と、
坂上味和の写真集を買いました。

だいたい以上です。どうでもいい話が長く続いてしまいました…。

次回は、「ブック D」で購入しました、
ビニ本「
ドキュメント 女子便所 第1集」について書きたいと思っています。

このブログでなんどか、自販機本を発行していた“エルシー企画”のことを取り上げました。

そのエルシー企画が、
当時の自販機本の最大手だった“アリス出版”に吸収合併されるのですが、

これもまたなんどか取り上げています、
「ポルノ雑誌の昭和史」(川本耕史著)に以下の記述があるように、
有志が独立して、群雄社という出版社をつくります。

“~元エルシー企画社長の明石氏が1980年の8月に独立し、古くからのアリス出版、
エルシー企画のメンバーのほとんどがそれに同行したのだ。”

群雄社が“薔薇書房”ブランドで発売して大ヒットしたのが、
ビニ本「ドキュメント 女子便所 第1集」です。

“発売。即完売。増刷するも、またもや完売。”(ビニ本大全集、東京三世社)だったとのことで、
シリーズ化されるのですが、

詳しくは次回、書いていきたいと思います。


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SOMETHING_00

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今回は、高知市「古本(こっぽん)」(1)に引き続いての2回目です。

前回からかなり期間があいてしまいました。
2回目以降をはやく書きたいと思っていましたが、なかなか取りかかれず、
残尿感がある感じがして居心地が悪かったです。

というわけでさっそく始めようと思いますが、

古本屋「古本(こっぽん)」の話は、最初の回で書いている以上のことはありませんので、
「古本(こっぽん)」があった商店街について書いていきます。

裏本やビニ本とはまったく無関係な上に、古本屋とも関係がなく、
単に私の記憶をたどるだけの話ですので、ほとんど意味がない話が続きます。

ただ私にとって懐かしいというだけの無駄話です。

さて、「古本(こっぽん)」があった商店街ですが、
日の出町と弥生町の境目にありました。
東西に走っている道に面していくつもの店が存在していた商店街です。

現在残っているのは弁当屋の「ふれんど」くらいですが、
全盛期といいますか、昭和40年代から50年代にかけては、かなり賑わっていました。

今の地球33番地通りは、一方通行だったかどうか覚えていませんが、
とても狭い道でした。「地球33番地通り」という名称も付いていません。

また、一文橋はありましたが、架け替える前の橋でして、やはり狭く、
車が2台ギリギリ通過できるくらいの道だったように覚えています。

ちなみに、現在の「ふれんど」の場所に何があったのかは覚えていませんが、
その向かい側に「鳥吉」という持ち帰り専門の焼鳥屋がありまして、
その隣(西側)に、名前はわかりませんが、総菜屋がありました。

この総菜屋は、その後、現在の「ふれんど」の隣に場所を変えてしばらく営業していましたが、
そのうちなくなり、その後で、また別の鶏肉専門店がオープンしました。

しかし、今は、その鶏肉専門店も閉店しています。

ところで、「鳥吉」は現在も不定期で営業していますが、
場所は昭和小学校の北側に移動しています。

昭和40年代、50年代の話に戻りますが、
「鳥吉」の隣に総菜屋があって、
その隣(西側)に、商店街には似つかわしくない鉄工所みたいなものがありました。

そしてさらに西側には何があったのか、正確には覚えていませんが、
老夫婦がやっている食堂があったことだけは覚えています。

その向かいが、今でもやっているのかどうかは不明ですが、
看板は残っている「岩井」スーパーがありました。

私が小学生の頃、この「岩井」にはしょっちゅう行っていました。
駄菓子も売ってまして、当時話題の「仮面ライダースナック」などを、
買っていたように記憶しています。

また子供が喜びそうなオモチャの類いも売っていたように覚えています。

そして、「岩井」の隣(東側)ですが、「片岡写真館」という写真屋がありました。

その隣(東側)に、確か「日の出」という理髪店がありまして、
何度か散髪しに行ったことがあります。

さらにその隣(東側)には、「日の出寿司」という寿司屋がありましたが、
「日の出寿司」は私が小学校の頃に、場所を引っ越しています。

たしか、宝永町あたりで現在も営業しているのではないでしょうか。

「岩井」「総菜屋」「鳥吉」あたりは、当時、母親に連れられてよく行きました。

ちなみに書店街の名前ですが、
「日の出寿司」「日の出」という理容店など、
日の出という名前がついていたお店があったことを考えると、
日の出商店街という名称だったと思いますが、定かではありません。

この商店街は、地球33番地通りを西に越えて、現在の「フジ桜井店」まで続いていました。
地名でいうと、宝永町です。

宝永町、弥生町、日の出町などの住民は、この商店街を利用していました。

現在の「フジ桜井店」のさらに西側に行くと、
菜園場商店街という、より賑わっている商店街がありましたが、
主婦が徒歩で行くとなると、そこそこ大変な距離です。

なのでうちの母親は自転車で行っていました。

しかし今は、その菜園場商店街も、
数店舗が営業しているのみで、
当時の賑わいはありません。

またまたかなり長くなってしまいました。

今回は、このへんで終わりますが、
また思い出したときに書いていこうと思います。

ただし、そのときには、
「日の出商店街」とか「菜園場商店街」とかのタイトルで書こうと思います。

ところで、トップ画像はまたしても、
“竹下ゆかり”出演のビニ本「SOMETHING」(八起書房)からのものです。

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SOMETHING_00

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今回は裏本やビニ本と直接には関係がない、古本屋の話です。

その昔、私の実家の近所に、「古本」と書いて「こっぽん」という店名の古本屋がありました。

店の看板に、“こっぽん”と書いてありました。

たとえば、“古本”とだけ書かれていたなら、店名とは思わず、
古本が販売されているという認識以上のものはなかったと思いますが、

“古本”表記のそばに“こっぽん”と書かれていたので、店名だと認識した次第です。

高知市の東エリア、高知市弥生町にありました。

開店したのは、1984年前後だったように記憶しています。
ただし、売上が良くなかったのか、1年足らずで閉店してしまったような気がします。

近所だったこともあり、数回店内を覗いたことがあります。

売場は6畳くらいのスペースで、スペースのわりに本はかなり多かったです。
漫画とか小説の文庫本とかがメインの、一般的な古本屋でした。

ところで、「古本(こっぽん)」の隣に弁当屋がありましたが、
現在でも営業中の、「ふれんど」という弁当屋です。

「ふれんど」は「古本(こっぽん)」よりもさらに古くからあります。
私はここで、よく弁当を買いましたし、いまでも買うことがあります。

注文を受けてから揚げるので、多少時間はかかりますが、
サクサク感のある、鳥の唐揚げ弁当が大好きでした。“弁当”ではなくオカズだけ買って、
家にあるご飯で食べることも多かったような気がします。

また、「ふれんど」の隣に総菜屋がありました。
こちらは「古本(こっぽん)」や「ふれんど」よりもはるかに古くからありました。

最近は実家に帰ることも年にいちどあるかないかという私です。

実家に暮していた当時の記憶が強いため、もう30年近く営業しているはずの「ふれんど」ですら、
私のなかでは新規店のような認識になっています。

ただ、この総菜屋は私が小学校に入学する前からありました。

けっこう長くなりましたので、残りの話は、次回以降にしたいと思います。

次回以降のタイトルはまた「古本(こっぽん)」としますが、

内容的には「古本(こっぽん)」と無関係で、
このあたりの商店街についての話を書きたいと思っています。

ところで、トップ画像は“竹下ゆかり”出演のビニ本「SOMETHING」(八起書房)からのものです。


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無錫旅情_10

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今回は広島市・横川の古本屋の話の続きです。

前回もそうでしたが、たいした話ではありません。
自分が書きたいだけです。

当時のことを思い出しながら書くことが快感なだけです。

ところで、私は大学入学後1年半、広島市南区翠に住んでいました。
その後は、大学の移転の関係で、広島県福山市、広島県東広島市と住所を変えています。

大学を卒業した後は、
会社に入り、しばらく東京都内で研修を受けたのちに、再び広島市に住むことになります。

社会人になって住んでいた場所も広島市南区で、宇品御幸というところでした。

学生時代に南区翠に住んでいましたので、その近くの南区宇品御幸に決めた次第です。

さらにその後は、転職して引っ越ししましたので、
宇品御幸に住んだのは2年半でした。

というわけでして、広島市に住んだ期間は、大学時代の1年半と、
社会人になって以降の2年半。
トータルで4年間住みました。1980年代後半から1990年代初頭のことです。

その間、横川の古本屋に行ったのは、実は数回だけでした。
裏本やビニ本が売られていたということが強烈に印象に残っていて、
このブログで取り上げた次第です。

こんなブログをやっている私ですが、
自分で購入した裏本やビニ本は、全部で5冊程度でした。

すべて学生時代に買ったものです。

しかし、何度か引っ越しをするなかで、処分に困り始めます。
捨てるのはもったいないということで、横川の古本屋に売りに行こうと思い立ちました。

とはいえ、これは心理的ハードルがかなり高い行為です。

横川の古本屋には確かに裏本やビニ本が置かれていましたが、
店主のオヤジが個人的に購入したものや、知人から譲り受けたものを
店頭で売っているかもしれません。

つまり日常的に裏本やビニ本の買取をしていないかもしれないということです。

私が裏本とビニ本を持ち込んだときに、
「ビニ本はともかく、裏本は非合法だから買えない」などと言われたら困ります。

途中でハシゴを外された気持ちになります。

それにもし買取してくれても、金額が異常に安かったりすると残念です。
裏本の処分に困ってるな、などと足元を見られ、
安値を付けられる可能性もないわけではありません。

とはいえ、最終的には、私はその古本屋に裏本とビニ本をすべて持ち込みました。

結果は、買取してくれました。ただし、
金額がいくらだったのかは思い出せません。

思ったよりも高くもなく安くもなくといったところではなかったでしょうか。
後々、印象に残るほどの金額ではなかったということです。

店主のオヤジの反応は、淡々としたものでした。
普通の書籍を買取する要領で見ていました。

裏本とビニ本だけでなく普通の写真集や書籍なども
いっしょに持ち込んだように記憶しています。

ただし、学生時代に売りに行ったのか、
それとも社会人として働いていたときに売りに行ったのかは覚えていません。

いま考えると、やはり社会人になって以降のことじゃなかったかと思います。

学生時代の私は、
“こんないいオカズを処分するのはもったいない”と思っていましたが、

社会人になって以降は、同じ裏本やビニ本をオカズにすることに
飽きがきていたこともあったように思います。

ところで、当時、同じ会社に同期で入社したOLが数人いました。
その中のひとりと今でも年賀状のやり取りをしています。
やり取りは、かれこれ30年続いています。

それはさておき、入社2年目くらいだったでしょうか、
男女含めた同期だけで、彼女のアパートに集まったことがありました。
それが、横川の古本屋のすぐ近くだったのです。

古本屋のことを話題にするわけにもいかず、
ひとりで恥ずかしさを抱えていたことを思い出します。

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