おとなの妄想くらぶ

カテゴリ: 書店

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今回もまた、広島市内で展開していたチェーン店の書店「SUN BOOK」のお話です。

例によって、大した内容ではなくて、私の思い出話です。

1986年から1987年、それから1990年から1992年になりますが、
私は本当によく「
SUN BOOK」を利用していました。

何も買わないことのほうが圧倒的に多かったので、利用していたというのは正しくなく、
ただ行って店内をウロウロしていただけでしたが…。

一日に複数の「
SUN BOOK」の店舗を自転車でハシゴするという、

他の人から見たら意味不明なこともしておりました。

ちなみによく行っていたのが、「霞店」「舟入店」「横川店」です。

「舟入店」と「横川店」に関しては、
住所から、おそらくそういう名称ではないかと思うのですが、正式名称は今となっては不明です。

ネットで検索しても出てきませんでした。当然もう店舗はありません。

私は、広島市では南区以外に住んだことがありませんので、
同じ南区にあった「霞店」の利用が圧倒的に多かったです。

1992年(平成4年)の7月中旬に、私は広島の勤務先を辞めて上京します。
それ以後、2015年
(平成27年)になるまで広島に行くことはありませんでした。


2015年に広島に行ったのは旅行です。2015年の11月上旬でした。
新幹線とホテルの1泊2日がセットになった格安商品を利用しました。

宿泊したホテルは、「オリエンタルホテル広島」です。
また4泊5日という日程にしましたので、2泊目以降はすぐ隣の「ホテル28」に泊まりました。

目的はとくにありません。といいますか、
観光地に行く旅ではありません。昔自分が生活していた街をもういちど体感したかっただけです。

JR広島駅近くのニッポンレンタカーで、自転車をレンタルしました。
自転車を貸し出していることを事前に調べていたからです。

2泊目以降に利用した「ホテル28」は、ホテルに駐車場があります。

そこを抜けた奥に、バイクや自転車を停めることができる駐輪場がありまして、
そこを利用しました。ホテルの宿泊客は自転車の駐車料金は無料です。

従業員の自転車もそこに置かれているようでした。

そこで、「
SUN BOOK」の話に戻るのですが、

当時のように自転車を走らせて「霞店」に向かいました。

ネットで事前に調べていましたので、「霞店」が営業していることは知っていましたが、
それ以外の店舗は、歓楽街に1店舗まだ残っていただけのように記憶しています。

よく利用していた3店舗のなかで残っているのは「霞店」のみでした。

ちなみに当時は、「
SUN BOOK」に行くのは午後9時を過ぎてからでした。

しかし、2015年に行ったのは昼間です。

2号線沿いにある店舗は、昔通りの佇まいで私を迎えてくれました。
そう書くと、少し大げさになるのですが、それほど懐かしさがありました。
店内に入ると、よけいに懐かしさを感じます。

店舗内の陳列レイアウトは、当時のままのように思いました。
また、このとき思い出したのですが、
「霞店」の店舗内は、店内の真ん中ほどのところに階段というか段差があります。

入口付近が高くなっていて、奥が低くなってます。

その段差を見つけ、そういえば、段差があったなとか、いちいち感慨深く店内を眺めていました。

当時主流だったVHS商品は、すべてDVDになっていましたが、
入口付近は一般誌、奥にアダルト商品という陳列は当時のままでした。

ところで、私は、この後また2017年(平成29年)9月上旬に広島に宿泊して、
レンタル自転車を走らせ、「霞店」を体感するのですが、

その後、
2018年の暮れに「SUN BOOK」の運営会社は「破産手続き開始決定」となります。


GoogleMapで確認したところ、現在は「霞店」が入っていたビル自体がなくなっています。

残念なことです。私の喪失感はハンパありませんでした。


トップ画像は、以前に取り上げました、裏本「momoko モモコ」からのものです。

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今回は、広島市内で展開していたチェーン店の書店「SUN BOOK」のお話です。

たいした話があるわけではなくて、単に私の懐かしさを満たすためだけの内容です。

私が広島市南区に居住していた当時、1980年代後半から1990年代はじめにかけてですが、
頻繁に「SUN BOOK」に通っておりました。

特に利用していたのが、2号線沿いの「霞店」です。
広島市南区霞2丁目にありましたが、どうやら2018年ごろに閉店になってるようです。

チェーン店なので大元の会社があるはずですが、
ネットで調べたところ、2018年の暮れに、
「破産手続き開始決定」という情報が出てきましたので、倒産したものと思われます。

現在、私は広島市から遠く離れた土地で暮らしているため、
利用することはありませんでしたが、それにしても残念です。

1980年代後半の話に戻ります。

1986年に、私は広島市南区翠に下宿することになりました。
親元から離れ大学に通うためです。

高知市にいたころから、自転車であちこちの書店や古本屋をめぐるのが好きでしたので、
広島での生活が始まってすぐに、やはり自転車であちこちウロウロしました。

目的は、本屋や、当時全国で出店ラッシュが見られたレンタルビデオ屋とかを探すためです。

とはいえ、広島市も相当に広いです。
闇雲に自転車を走らせても効率的ではありません。

運動になるし、道を覚えるから、それでもいいという気持ちはあったものの、
せっかく出かけるのだから、ひとつくらいは書店を見つけたいという思いはありました。

そのため、電話帳と地図であらかじめ書店の場所を調べて、
それから自転車でウロウロするということをしていました。

しかし「SUN BOOK霞店」は調べて見つけたのではなく、
何となく自転車を走らせて見つけたのだったと記憶しています。

その後、広島市内に点在していた「SUN BOOK」に、
片っ端から自転車を走らせるのですが、

最初の「SUN BOOK」体験が「霞店」でした。
“体験”とか大げさだと思われるかもしれませんが、それだけインパクトがありました。

中に入ると、ほぼエロ一色。いわゆるエロ本はもちろん、アダルトビデオに、
エロテープの類いのものも置いていたように思います。

当時、私は、
これだけの数のアダルト雑誌をいちどに陳列しているお店に入ったことがありませんでした。

正方形に近い形をしている店舗内の広さは、一辺が10メートル以上あったと思います。
ちなみに、ワンフロアでした。

「やっぱり広島は都会だ」と思ったのを覚えています。

それから、頻繁に通うようになるわけですが、
毎回何か購入していたわけではなく、行くだけのことが多かったです。

何時間も粘るほど店内は広くはありませんが、店内でウロウロする時間がとても楽しかったです。

どこの書店もそうですが、
購入したときは、書店の情報が印刷されている袋に入れてくれます。

その袋に「霞店」以外の「SUN BOOK」店舗の情報が載っています。

それを参考にして、
後日、また別の「SUN BOOK」に自転車を走らせるわけです。

そして、実際に行った後、また下宿に戻るのですが、

戻ってから、走ったルートを地図で確認します。

この作業は、何らかの使命感でやっていたり、
仕事につながるからとかいう理由でやっているのではなく、
一連の作業が楽しくて仕方がないという単純な動機からです。

そのため、広島市内の道をあっという間に覚えました。

ところで、「SUN BOOK霞店」から、2号線沿いを西に約500メートルくらい行った先に、
レンタルビデオ店がありました。

たしか「SUN BOOK霞店」を見つけたときと同日に発見したと記憶しています。
広島市内でチェーン展開していた「ポパイ」というお店です。

ネットで検索すると、「メディアステーション ポパイ」というのがヒットして、
確かに広島市南区の2号線沿いに、東雲店と東雲2号店、ふたつの店舗があったようですが、

私の記憶では、住所は広島市南区東雲や東雲本町ではなくて、
広島市南区出汐という地名の場所にあったような気がします。

それに私が2号線沿いの「ポパイ」を初めて利用したのは、
1986年の春から夏ごろだったと記憶しているのですが、

ネット情報では、東雲店と東雲2号店は、
1986年当時には開店していないという情報が出てきました。

ちなみになぜ、最初の利用が1986年の春から夏ごろだったのかというと、
その頃、ビデオデッキを買ったからです。

ネット情報が誤っていることは少なくないのですが、
「メディアステーション ポパイ」と私が見つけたレンタルビデオ店「ポパイ」は、
別物という可能性もあるかもしれません。

というわけで、この話は、また次回以降に続きます。

トップ画像はまたまた、竹下ゆかりですが、
以前に取り上げました、ビニ本「PONNY ポニー」(ドルフィン企画)からのものです。

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今回は、高知市南はりまや町にある書店「いそっぷ館」のお話です。

かなり昔からありますが、現在でも営業中です。

どのくらい昔からあったのかというと、
私が高校に入学する前後にオープンしたような記憶があります。

具体的には、1981年とか1982年あたりです。
なので、40年近く続いていることになります。

本が売れないと叫ばれて久しいですが、
そんななかでここまで長期にわたり営業しているのは物凄いことだと思います。

「いそっぷ館」がオープンしたころ、私は実家のある高知市の東側地区から、
西側地区にある学校へ自転車で通学していました。

その通学路にあったのが「いそっぷ館」です。
通学路といいましても、自転車ですので、私が通る道が通学路となるわけですが、

行きも帰りも、「いそっぷ館」がある十字路をよく利用していました。

今でもそうですが、オープン時からビル全体に「いそっぷ館」という看板が掲げられています。

それを最初に見つけたときは、ビル全体が書店で、
上から下まで全部のフロアに本が陳列されているのかとも思いました。

書店大好きな私は、オープンしたのを見つけた直後に、さっそく店内に入るのですが、

ビル全体が書店というわけではなくて、店舗は1階のみ。

広さもそこまで大きくはありませんでしたし、品揃えも、街の本屋さんという感じでした。

この「いそっぷ館」で記憶に残っているエピソードがあります。

1982年ごろの出来事だったように記憶していますので、
オープンからそんなに経ってなかったように思います。

当時、ロリータ写真集というものが、巷にあふれ始めようとしていたころでした。
18歳未満、特にローティーン以下の少女を被写体にした写真集です。

当然今ならば、存在自体が許されない一発でアウトな代物です。

ところで1980年代当時、陰毛を晒すのは御法度でしたから、
雑誌や写真集などで、大人の女性の股間は、何らかのボカシ処理が施されていました。

しかしロリータ写真は違います。
10歳以下、もしくはせいぜいでローティーンの少女たちですから、
陰毛が生えていない状態です。

ゆえに股間の、いわゆる“ワレメ”は、隠されずにそのままでした。

昔も今もそうですが、
クリエイターの側は、マンコ解禁に肯定的な態度の人たちが少なくありません。
写真でも映像でも、海外では男女の股間を隠さないのが当たり前だからです。

しかし国内においては、ワイセツという理由で今も隠されています。

大人の女性、特に日本人の大人の女性の股間には必ず陰毛があります。

欧米のように、陰毛を剃るカルチャーが普及していないのは当時も今も同じだからです。

そのため、日本でマンコの解禁を実現すると、必ず陰毛が見えるという事態になります。

ただしここでややこしい問題が発生します。

マンコ解禁のはずが、必然的に陰毛も解禁されますので、
マンコの解禁=陰毛の解禁、ということになり、

マンコが解禁されていない現状は、マンコがワイセツだと捉えられているのはもちろんのこと、
陰毛もワイセツと捉えられている。人々は必然的にそういう意識になります。

そのため陰毛自体がワイセツだと歪曲されて捉えられたまま、
1990年代以降の、なし崩し的な陰毛解禁となるわけですが、それはさておき、

陰毛がヒワイならば、陰毛がそもそもない少女の股間はワイセツではない、
つまり隠す必要がない、という認識が浸透していきます。

さらに初期のロリータ写真集は、芸術的なテイストを付加させた雰囲気が、
前面に押し出されていたものも少なくなかったこともあり、
ワイセツ議論の土俵に上がることがありませんでした。

加えて、少女のワレメ及び、そのヌードをワイセツと決めつけてしまうと、
それによって、少女ヌードに発情しているという動機も連動して付いてくるため、
この問題に関して、当局はかなり慎重でした。

そのため、
ロリータ写真集が、「いそっぷ館」のような街の本屋さんの店頭にも置かれ、
少女のワレメが街にあふれるようになります。


私が見た具体的な光景は、
超有名なロリータ写真集『私はまゆ13歳』の「いそっぷ館」での平積みです。

当時は、全国のいたるところで、このような光景が見られました。
なので、平積みを発見しただけなら、特に珍しいことではありませんでした。

ここでやっと、「いそっぷ館」エピソードに入りますが、

中年女性ふたりが、『私はまゆ13歳』を手に取ってパラパラとめくり、
ワレメが映っているページや、年齢にしては豊満なバストが露わになっているヌードページを開き、
雑談しているところに出くわしました。

どんな雑談内容なのか詳しくはわかりませんでしたが、
中年女性ふたりなので、性的好奇心ではないように思われました。


ふたりの表情から察するに、
「これはちょっと問題だ」みたいな雰囲気、つまり写真集に否定的な感じです。

しかし、その後、ロリータ写真集をはじめとするロリータ需要は拡大していき、
『私はまゆ13歳』のモデル・花咲まゆは、当時のメジャー誌である、
『平凡パンチ』にもヌードが掲載されましたし、

同時期にやはりロリータヌードで人気のあった、
“少女M”は花咲まゆよりも、さらにメジャーな存在になっていきました。

そんなロリータブームに終焉が訪れるのは、例の“宮崎勤”の事件があって以降のことです。

ところで、トップ画像はまたしても、
“竹下ゆかり”出演のビニ本「SOMETHING」(八起書房)からのもの。

セミロングの黒髪も、ツルスベな背中も魅力的です。


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高知市にかつて存在した書店「ブックス ウイル」について書きます。

正式名称は、「ブックス ウイル青柳店」というようです。

改めて調べますと、青柳町ではなくて、それと隣接する若松町にありました。
高知市の東エリアです。

現在の、“一汁三菜食堂 青柳店”と、その北側に美容院がありますが、
そのあたりに「ブックス ウイル」はありました。

ここは、高知市立昭和小学校の校区で私の実家も近いため、
小学校のころから土地勘はありました。

私は昭和小学校の卒業生ですが、学んだのは以前のおんぼろ木造校舎のときでした。
昭和小学校の周辺は、昭和45年(1970年)の台風10号で床上浸水の被害に遭っています。

台風10号が上陸したとき、私は小学校の入学前でしたが、
学校の先生から台風被害の話をよく聞きましたし、両親からも聞かされておりました。
また自身の記憶にも少し残っています。

昭和小学校の校区は、ゼロメートル地帯ですので、現在も水害の危険性が高い地域です。

「ブックス ウイル」があった若松町や青柳町も同様で、
より海に近い地域でもあるためか湿地帯です。

小学生のころは、そのあたりにザリガニを捕まえにいった記憶もあります。

現在はかなり街並みが変わっていますが、
当時からあったのは、“豚太郎 若松店”くらいだったような気がします。

あとは、もう少し東側、現在の“一汁三菜 青柳店”の道路を挟んだ南側付近に、
オシャレなレストランがあったように記憶しています。

“くいしんぼ如月 若松店”も、そこそこ古くから店はありますが、
私が小学生のころにはありませんでした。
ただ、「ブックス ウイル」がオープンした1985年(昭和60年)には
営業していたような気がします。

また、「ブックス ウイル」が面していた県道35号から電車通りに抜ける道は、
当然まだできておらず、「ブックス ウイル」の北側は、道路予定地の空き地でした。

さて、「ブックス ウイル」の店舗ですが、郊外型の大きめで、おしゃれな感じでした。

店舗は広いのですが、専門書が置いているわけではなく、街の本屋さんという品揃えです。

入って右側に文房具が置いていて、左側は本が置いていました。

当時できたばかりだったので、本棚も新しくキレイでした。

ちなみに現在も、
「ブックス ウイル」は「TSUTAYA」のフランチャイズとして残っているようですが、
当時から「TSUTAYA」という雰囲気の店舗でした。

ネットで調べると、レンタルビデオもやっていたようですが、
ビデオが置いてあったのは記憶にありません。

時間つぶしには最適な広い店舗なので、よく通ってました。

ところで、店の横側に自動販売機が4台くらい並んでいまして、

すべて違うメーカーのやつでもあり、けっこう壮観な眺めでした。
家に帰るときには、そこで缶飲料を買うのが楽しみでした。

ダイドーのジョニアンコーヒーをよく買っていたような記憶が残っています。

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今回は裏本とかビニ本とはまったく関係がないテーマについて書きます。

高知市の「某書店」についてです。

名前をぼかすための“某”ではなくて、書店名が「某書店」でした。
現在はもうありませんが、高知市の東エリアである、高知市宝永町にありました。

店内は10畳くらいのスペースで、壁一面に木の本棚があり、
店の中心にも本棚がありました。

いわゆる街の本屋さんで、置いているのは
漫画や週刊誌、月刊誌や文庫本など、売れ筋のものがメインです。

専門書の類いを置いているような書店ではありません。

1970年代前半には営業を開始していて、
なくなったのはたぶん1980年代半ばごろだったように記憶しています。

GoogleMapで確認すると、「某書店」が入っていた建物自体はありますが、
入居しているテナントはなく、トタンの壁に選挙ポスターが貼られていたりします。

私は当時、この付近に住んでいました。いまでも実家があります。

私にとって、書店といえばこの「某書店」でした。

痩せ型のオヤジというか兄ちゃんみたいな年齢不詳の人がひとりでやっていて、
フォークシンガーみたいな風貌でした。

私の実家から、その本屋がいちばん近かったこともあり、
頻繁に通っていたような記憶がありますが、
店主はかなり愛想のない感じでした。

それとも人付き合いが苦手だったのでしょうか、
店主がお客と話しているところを見たことがありません。

お客は、近所に住んでいる住民ばかりですから、
毎月決まった雑誌とかを買いに来るお客もいたと思いますが、
常連と世間話をするような雰囲気は一切ありませんでした。

ただ、私は小学生でしたので、
店主が愛想がないことについて特に気にすることもありませんでした。

この「某書店」で印象に残っているエピソードがふたつあります。

ひとつは、おばさんが雑誌を買いに来たときのことです。

一冊しかない、目的の雑誌がかなりくたびれているというか、表紙が折れ曲がっていました。
一部分が破れていたのかもしれません。

「いや、こんなになっちゅう」
“なっちゅう”は高知の方言です。

「新刊なのに、こんな風になってて嫌だけど、これしかないから仕方なく買う」

方言も込みで、さらにおばさんの表情や態度から類推すると、
だいたいこんなことを言いたかったのだと思います。

それを聞いての店主ですが、
折れ曲がった表紙を手で平らにしようとする動きを何度か見せましたが、
その際、「あ、あ…」と言っただけで会計をしていました。

そしてもうひとつは、
冬に店主が、石油ストーブの上に、瓶の牛乳をそのまま乗せて温めていたことです。

これは何度も目撃しました。

瓶が熱で割れるのではないかといつも思っていましたし、
瓶が熱くなり持てなくなるのではとも思いました。

案の定、瓶が熱くなったのでしょう、
牛乳を飲むときは、口の部分を親指と人差し指で挟むようにして掴んでいました。
お酒の徳利を持つような感じです。

ふたつとも、40年以上前のエピソードです。

なぜいまだに覚えているのか自分でも不思議です。

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