おとなの妄想くらぶ

カテゴリ: エロメディア概要


恥夢_00

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前回、取り上げました裏本「恥夢」で、
とても興味深い内容のコメントをいただきました。

裏本創成期には、カラミ無しのものがよく見られたことと、裏本の自主規制に関するお話でした。

つまり内容的には、裏本に関することですが、
記事のタイトルは「ビニ本・裏本と自主規制」と、“ビニ本”も加えております。

裏本の自主規制と比較しながら話を進めていこうと思っているためです。

ちなみにビニ本の“自主規制”は、端的にいうと、スケパンとベールです。
印刷上の消しももちろん自主規制に入ります。

規制のやり方の違い、また強弱はあったとしても、
マンコを隠すことが自主規制だという認識は、ビニ本業者全員がおそらく一致しています。

では裏本は、マンコを隠していないので自主規制していないのかというと、
いろいろ調べましたところ、話はそう簡単ではありませんでした。

ところで、私が裏本を意識し始めた1980年代半ばは、
すでに「裏本」=本番があって無修正、
「ビニ本」=単体、もしくは本番アリで、いずれも性器は“自主規制”で隠されている。

このような認識が一般的でした。
また、裏本で発売されたものが、消し入りのビニ本として再生される状況も当たり前でした。

私が最初に触れた裏本の状況が、裏本創成期から続いているものと思っていましたから、
本番無しの裏本があることを知り、驚いたわけです。

しかし、まだその段階でも、本番無しの裏本は例外的な存在だと思っていました。

そして今回いただきましたコメントです。

これは調べなくてはならないと思いまして、
裏本の“自主規制”のことも含めた、今回の記事となるわけです。

かなり長くなりますが、ご興味ある方はお付き合いくださいませ。
よろしくお願いいたします。

さて、本題に入る前に、裏本の創成期を知る手掛かりとして、
私はふたつの本を参考にしました。

川本耕次・著「ポルノ雑誌の昭和史」(ちくま新書、2011年)
奥出哲雄・監修「裏本大全集 444冊完全載録」(東京三世社、1984年)

「ポルノ雑誌の昭和史」は、アダルトメディアに興味のある人たちにはかなり有名な、
当時の自販機本を取り巻く状況を中心に描いたドキュメント風の新書です。

また、「裏本大全集 444冊完全載録」は、
1982年「ビニ本大全集」、1983年「ウラビデ大全集」に続く、
アンダーグラウンド物の三部作の完結編として発売された資料的な内容のものです。

少し話が脱線しますが、川本氏は小説家としても有名ですが、
それ以前は自販機本の制作に携わっておりまして、
当時の状況をかなり細かく、自身の考察も含めて描いています。

当時のアダルト雑誌「月刊ボディプレス」で連載されていた、
「自販機本グラフィティ」と合わせて読むと、自販機本の版元の栄枯盛衰がとてもよくわかります。

大手のアリス出版が、エルシー企画を吸収合併して、さらに旧エルシー企画の人たちが、
ふたたびアリス出版から独立して、今度はウンコ本で有名になる群雄社を立ち上げる。

そのあたりのドラマチックさに、私はとても惹かれます。
「全裸監督」が話題になっているいまだからこそ、
誰か映画化でもしてくれないかと思うわけですが、

それはさておきまして、

「ポルノ雑誌の昭和史」に、
ビニ本市場が壊滅することについて書かれたものがありまして、
その一部に以下の記述があります。

少し長いですが、引用します。

“しかも、そんな中で、強力なライバルがあらわれつつあった。
ビニ本が進化して裏本になったと考えている人も多いようだが、最初から次元の違う存在だった。
ビニ本はまっとうな「正業」なのだが、裏本は暴力団の資金源であり、非合法ビジネスだ。”

ちなみに、ここでいう強力なライバルというのはビニ本に対してという意味です。
陰毛が見えることで、売上を伸ばしていくビニ本に対して、
新興勢力の裏本がライバルとして出てきたということが述べられています。

以下、引用続きます。

“日本で最初の裏本は、1981年の「ぼたん」だと言われているが、
続けて「法隆寺」「金閣寺」などが発売される。これらは版元名も記載されていないし、
流通ルートも違う。”

川本氏が、ここで何が言いたいのかというのを大まかにまとめると以下のようになります。

売った書店がパクられた場合、裏本はどこから仕入れたか不明なので、
裏本納入業者はなかなか捕まらない。
しかしビニ本は、納品書や小切手と証拠が残っていて、本に住所まで記載されているので、
パクられてしまう。さらには警察にパクられた半年後には必ず税務署が入る。

つまり、ライバルである裏本の登場と、書店が警察にパクられることにより、
ビニ本の版元にも捜査が及び、さらには税務署も入り、版元が弱体化。
結果、ビニ本市場が縮小していったという内容のことが書かれています。

この川本氏の話を前提にして、裏本の“自主規制”を考えてみますと、
裏本業者は、当局から目を付けられることを防ぐため、つまりビニ本と同じ意味での、
“自主規制”は必要がないことになります。

理由は、売り逃げの商売なのでパクられることがないからです。

「そんなことはない、実際に裏本業者や裏ビデオ業者はいくつも摘発されているぞ」
というツッコミが入るかもしれません。

しかし、ここで私がいいたいのは、
当局から睨まれるのを避ける気持ちが、自主規制に向かうのかどうかということでして、

実際に捕まるかどうかはまた別の問題だと考えます。だからこその“自主”だろうと思います。

たとえば本番アリの裏本を撮影したとして、
最初に、単体の裏本を出して、次に同じモデルでカラミアリの裏本を出す。

モデルが良いのならば、いきなりカラミアリの裏本を出すよりも、
単体裏本で人気が出たことで売れて、次にカラミアリの裏本でまた売れる、
つまり二度美味しいということになります。

もしも、自主規制があったとしたら、
そのように、商売に重心を置いたものだと思うわけです。
ただしこれは私の想像でして、実際にあったのかどうかはわかりません。

繰り返しになりますが、これらは川本氏の話を前提にしたうえでのことです。

続いて、「裏本大全集 444冊完全載録」をみていきます。

この本は、裏本最盛期の人気作品はもちろん、創成期の作品も掲載されていまして、
資料的価値はとても高いのですが、索引がないこともあり、
資料としては使いにくい編集になっています。

そのため、私はこの本を押し入れの中から引っぱり出してきました。

普段は使ってなかったのですが、
裏本と“自主規制”を考えるうえでのヒントがあるかもしれないと思ったためです。

というわけで、裏本とビニ本に関するとても興味深い記述を見つけました。

創成期からの裏本をいくつか出しながら、裏本のこれまでの歴史的流れや、
今後について書かれている、本の総括的な内容のなかに、それらはありました。

より具体的には、当時の裏本の販売状況、またモデルの変遷、さらにはビニ本との相乗効果や、
ビデオとのメディアミックスについてなど、内容は多岐にわたっています。

かの奥出哲雄氏の執筆によるものですので、正確な内容だと思います。

こちらも少し長いですが、引用します。
()内の西暦は、わかりやすいように私が付け加えました。

“56~57年(
1981~1982年)当時は〝単発〟or〝異物挿入〟本が大半を占め、

ファック本は貴重品扱い、一冊一万五千~八千円なる高値で売買されていたのである。”

“かつての創草期、それは56年(1981年)の初秋、
関西方面より突如出現した本番ファック本の第一号——『法隆寺』『金閣寺』『ぼたん』——では、
モデル嬢は水商売関係の女たちが大半ではあった。前述の二〇〇万まではいかないが、
それでも一〇〇万は下らない本番料、それほどの高額なギャランティを投じて口説いても、
出演していただける諸嬢は、トルコ嬢ぐらいなものであった。”

“それはさておき、56~57年(
1981~1982年)夏頃までは、裏本の中にあっても、

本番ファック本に出演することは勇気ある決断とみなされ、
殆どのモデル嬢は<性器露出内蔵こじあけ型>、
あるいは<異物挿入ブチ込み型>の単発裏本に限っての出演OKだったのだ。”

“ところが58年(1983年)に入ると、裏本の主流は圧倒的に本番ファック本となり、
かつまた「こんな美人が…」「こんな可愛い娘が…」と
絶句する類のモデル嬢が数多く裏本シーンへと流れこんできた。”

“56年(1981年)春、『法隆寺』その他の本番ファック本登場以前に、
まずは単発のみの無修正本が出現、これをさして裏本第一号と命名する説もある。
丸ごと一冊全ページ無修正であったもの、一部局部修正が成されてはいるが、
中程数ページ、どさくさまぎれに無修正写真が掲載されているもの
——この二種類がほぼ同時期であったという。いずれも本の体裁は表のビニール本と同様、
ために無修正の出現は、表ビニール業界の苦肉の策、最後のあがきとの声もあった。”

以上、かなり長いですが、いくつか引用しました。

とても興味深い記述が見られます。

裏本創成期は、
出演モデルを探すのが困難だったこと。
ほとんどの裏本モデルが単体出演に限ってOKだったこと。
そのため、単発や異物挿入本が大半を占めていたこと。
修正がなされた裏本が存在したこと。
ビニ本業者の苦肉の策が裏本だったという説もあったこと。

ここからは、
奥出氏の話を前提に、自主規制を考えていこうと思うのですが、

当時の裏本を取り巻く状況が、おぼろげに見えてきます。

当局から睨まれないための自主規制はもちろん、
モデルから本番出演の了解がもらえないということもあり、

また、ビニ本業者が裏本制作に乗り出したとなれば、
本番カット丸晒しへの躊躇もあったのだろうと思われます。

ところで、
裏本とビニ本はまったく別のものであるとする川本氏の話とは、一部異なることになりますが、

私は、どちらが正しくてどちらが間違っているということはなく、
裏本業者も複数あったと考えますと、おそらくどちらも正しいと思っています。

そのうえで、改めて自主規制を考えようと思ったのですが、

いただきましたコメントにありましたように、
業界の自主規制ということに関しては、確定的なことはわかりませんでした。

今後もいろいろと調べる必要があると思っています。

ただ、私の感想としましては、

上記に書きましたような、当時の裏本を取り巻く状況が、
業界の内外の人々に対して、“自主規制”のように見えた側面もあったし、
実際に自主規制もあったように思います。

結局のところ、いただきましたコメントを確認するだけの作業になってしまいましたが、

とはいうものの、大げさにいえば、当時の裏本状況を知るうえで貴重な時間でもありました。

この記事を借りまして、コメントをいただきましたことを感謝いたします。

それから、
これは1980年代当時のことを現在から見直した、私の個人的な思いですが、

当時、私は、奥出哲雄氏とは女性の好みが違っていたため、
奥出氏の推薦する作品については、基本的にスルーしておりました。

オレンジ通信ほか、いくつかのアダルト雑誌を読むと、
「この人とは、女の趣味が違うな」ということがすぐにわかります。

私の趣味はどちらかというと斉藤修氏に近く、アイドル系のモデルさんが好みでした。

しかし今回、改めて奥出氏のかつての仕事に触れたことで、
裏メディアに対するすまさじい熱量を感じざるを得ません。

意識していたかどうかはわかりませんが、

奥出氏のおかげで、
裏本や裏ビデオ、またビニ本なども含めたメディア、さらにそれを取り巻く状況が、
結果的に後世に残されて、資料的に価値のあるものとしてとらえられるようになっています。


当時の私は、
裏本やビニ本が紹介されているアダルト雑誌を見る動機は、
下半身的な興味がほとんどでした。

だから、今回取り上げました奥出氏の詳細な文章に触れても、
興味を喚起されることはありませんでした。

しかしいまは違います。
奥出氏がいかに最前線で仕事をされていたのかということに、畏敬の念すら覚える次第です。


ものすごく長くなりましたが、私の考察は以上です。

自身の考察というよりも、ほとんどは過去の資料の探り直しでした。

最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございます。

エロ本を見ながらシコシコやっていただけでしたが、とてもエキサイティングな時間でした。

ちなみにトップ画像は、裏本「恥夢」の裏表紙です。

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くるみ_09

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今回は、裏本とビニ本の価格のお話を書きたいと思います。
現在、裏本とビニ本は、古本を除き売られておりませんので、1980年代当時の価格です。

1985年4月に販売された当時のアダルト雑誌に、
「ビニ本を生きかえらせるための特集」なるものが組まれていたということを、
「裏本とビニ本のお話」第1回 で触れました。

その企画内で、奥出哲雄というライターの方が、
ビニ本について興味深い内容の記事を書いています。
といっても、いま改めて読むと興味深いという意味であって、
当時のマニアの間では当たり前のことでした。

この奥出哲雄という人は、80年代のエロメディアを語るときに、
必ず名前があげられるほど重要な人物なので、機会をみてまとめて書きたいと思ってます。

さて、その興味深い記事の具体的な内容ですが、
奥出氏がビニ本を買うために東京・神田神保町界隈を訪れる模様を書いた
エッセイのようなものです。

神保町交差点から九段下方面に少し向かったところにある
「アダルト」(おそらくは店名)を物色した話をまず書いていますが、
“松田ジュン、聖子、藤森美江……みんな仲良く1600円。”という記述がありました。

「藤森美江」とは、おそらく「藤森奈美江」のことと思われます。
ビニ本にそう記載されていたのか、奥出氏が間違って書き、それを編集部が気づかなかったのか、
いろいろな理由が考えられますが、それはさておき、

その後、奥出氏は、
「アムールショップ」「東西堂書店」「三崎書店」「華奈書店」と訪れていくのですが、
まとめると以下のような状況を長々と書いております。

「アムールショップ」ビニ本が一冊も無し。
「東西堂書店」最盛期よりもかなり減っている模様。
「三崎書店」2階はビデオコーナー。1階は360度ビニ本だらけ。
「華奈書店」ビニ本でいっぱい。

現在も引き続き、お店を構えている書店もあって、とても興味深いです。

また、同じ企画の別の記事で、
(もしもこれこれこういうスケベなビニ本なら、二千円は安い)
というような趣旨の話も書いています。

ビニ本の価格について、1600円と2000円という具体的な記述が出てきました。

これは私が初めて買ったビニ本の価格とも合います。

私が初めて買ったビニ本は、
1986年2月頃発売の「milky」というビニ本で2000円でした。
ただ買ったのは、1986年の5月か6月頃だったと思います。
場所は広島市御幸橋付近のアダルトショップでした。

ちなみに出演していたのは、記事のトップ画像のモデルです。

裏本やビニ本は、いろいろな側面から語ることができる素材のため、
どうしても長くなってしまいます。

今後は、裏本についての価格も含め、当時を振り返りながら書いていこうと思いますが、
連続ではなく、裏本とビニ本との紹介の間に挟んでいこうと考えております。

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くるみ_03

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今回から複数回にわたり、
裏本とビニ本を取り巻く当時の状況についてのお話を書いていきたいと思います。

具体的には、当時のアダルト誌に書かれていた情報を追っていきつつ、
私自身の実体験を交えたお話にしていきたいと思っています。

まず最初に、“当時”とは具体的にいつなのかといいますと、
1980年代の初めから、1980年代半ばごろまでです。

同時に、この時期はアダルトビデオの黎明期でした。
一般ユーザーへの普及が始まったころではありましたが、
スケベなメディアを欲するユーザーたちの多くは、まだ紙媒体を購入するのが一般的でした。

その中に裏本やビニ本も含まれていたわけですが、
裏本がブームになった時期と、ビニ本がブームになった時期とでは若干のタイムラグがあります。

ビニ本のブームがはやくて、その後で裏本のブームが来たという感じです。

1985年4月に販売された当時のアダルト雑誌に、
「ビニ本を生きかえらせるための特集」なるものが組まれています。
つまり、80年代半ば時点で、ビニ本はすでに斜陽気味だったということになります。

その理由にまず挙げられるのが、再生本ばかりが横行していて、
最盛期と比較すると新作の数が少なかったこと。

“再生本”とは何かといいますと、かつて販売されて人気だったビニ本を、
表紙だけ変えて販売したものや、裏本で人気だったものをビニ本として販売したものです。

“再生本”の中には、“複写再生”と呼ばれるものが存在していて、
これは何かといいますと、実際のビニ本や裏本をカメラで撮影して、
その写真を元につくった本のことです。
実際に撮影されたフィルムを使用していないので、
制作側としては、お手軽に安価でつくることが可能ですが、当然写真の質が悪いです。

当時活躍していたエロ本ライターたちは、
最盛期のビニ本に、多かれ少なかれ影響を受けた人たちです。

自分たちがかつて心を躍らせたビニ本。
しかし、ここにきてそのような新作がなかなか出てこない現状を嘆き、
先の特集記事になったのだろうと類推します。

一方、裏本はといいますと、80年代半ばは、まだ勢いがキープされていた頃です。
しかし、下り坂に入っていたような印象はあります。

ただ、裏本は非合法なメディアでありますので、ブームとか勢いがあったといっても、
マニアが中心で局地的な現象です。

一方、ビニ本は、自主規制ではありますが、局部に消しが入っていて、
東京の神田神保町の老舗書店「芳賀書店」を始めとして、
その界隈の書店に陳列されておりました。
また、ビニ本出版社が集まってつくった自主規制機関「JNMA」なるものの存在もありました。

「JNMA」加入の出版社が販売するビニ本は、非加入のものに比べて、消しが濃かったという、
当時のアダルト雑誌の記述もあります。

つまり、グレーゾーンではあるものの、通常のエロ本と同じく、
アダルト専門書店やアダルトショップに置かれているものでした。

価格も裏本よりは安く、手軽に購入できる状況であったのは間違いありません。
当時、テレビの深夜番組に取り上げられたりもしました。
つまり、裏本よりはマニア以外に広がる浸透度も強かったために、ブームなるものが到来して、
その後縮小したのだとも考えられます。

かなり長くなりました。今回はこのへんで…。

次回以降は、価格を含めたお話を書いていきたいと思っています。

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