前回に引き続き、かつて住んでいた下宿の住人の話です。
またしても、どうでもいいような思い出話なのですが、
今回は、私の真下に住んでいた文学部の学生の話です。
名前を仮にヤマダ(さん仮名)としておきます。
私はこの下宿に、2年生の9月まで住んでいて、
その後、同じ広島県の福山市に引っ越すのですが、
ヤマダさんは、私が引っ越すときもまだ住んでおりましたので、
私が入学したときには3年生でなかったかと思います。
下宿の住人は全員が同じ学校の学生ですし、
トイレは共同で使いますから、入居したときに全員に挨拶に行きました。
私と同じく新入生のミヤウチ(仮名)も交えて、
ヤマダさんの部屋で、挨拶がてら、ちょっとした雑談をした記憶があります。
ちなみに下宿に風呂はなく、風呂屋を利用していました。
私が下宿に住み始めたのは4月入学直前の、3月終わりだったと思います。
細かい日程は覚えていませんが、通常なら4月8日に入学式があります。
そしてこの4月8日ですが、後述する理由から月日が特定されるのですが、
私が下宿に帰り、部屋に入ろうとした瞬間に、
ヤマダさんが1階からものすごい勢いで階段を上がってきて、私の部屋に来て一言。
「岡田有希子が死んだ!」
このときの私の驚きをどう説明すればいいでしょうか。
いまだに記憶に残ってますから、衝撃的なことだったのは間違いないのですが、
岡田有希子が死んだことよりも、ヤマダさんが大慌てで私の部屋に駆け込み、
岡田有希子が死んだニュースを伝えてきたことに驚きました。
ちなみに、岡田有希子とは1980年代を代表する女性アイドル歌手です。
アイドル全盛の1984年にデビューしています。
私はもちろん知っていましたし、当時の若者全員が存在は知っていたはずです。
私は、ヤマダさんから教えてもらった後に、
岡田有希子が自殺したというニュースの詳細にも触れ、
その後、
10代の女子たちが後追い自殺することが社会問題にも発展するのですが、
それはさておき、
ヤマダさんの勢いに押されて、自身のショックがかき消されたとでもいうのでしょうか、
ヤマダさんは、そこまで岡田有希子に思い入れがあったのかと驚いてしまいました。
加えて、岡田有希子の自殺は4月8日でしたから、
私が下宿に住み始めて一週間ほどしか経っていません。
つまり、
同じ学校の先輩後輩とはいえ、ヤマダさんと私は、そこまで密な関係性ではありません。
わずか一週間前に初めて会ったわけですから。
ところで、これが逆だったとして、私が岡田有希子死亡のニュースを、
ヤマダさんの部屋に行ってまで伝えるだろうかと考えますと、
私のパーソナリティーの問題も多分にあるとは思いますが、
おそらくそんなことはしないだろうと思います。
ちなみにヤマダさんですが、一般的にはおとなしめなタイプで、
グイグイくるような感じではありませんでしたし、
下宿に住んでいたときには、
例えば、いっしょに飲みに行ったり、食事したり、遊びに行ったりとかは全くなく、
同じところに住んでいる住人という以上の関係性になったことはありませんでした。
現在も、岡田有希子の話が、テレビやラジオなどのメディアで取り上げられることがありますが、
それに私が触れたときは、もれなくこのヤマダ先輩が思い出として付いてきます。
それだけ衝撃的な出来事だったと言えなくもないということです。
岡田有希子の一件の後、
ヤマダさんと情報を交換するような会話したことはなかったように記憶しています。
そのことが余計に、
私の中で、この出来事の記憶を際立たせる働きをしたこともあると思います。
ところでトップ画像は、
またしても、ビニ本「KURUMI くるみ」(コンパル出版)からのものです。
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