今回は、高知市「古本(こっぽん)」(1)に引き続いての2回目です。
前回からかなり期間があいてしまいました。
2回目以降をはやく書きたいと思っていましたが、なかなか取りかかれず、
残尿感がある感じがして居心地が悪かったです。
というわけでさっそく始めようと思いますが、
古本屋「古本(こっぽん)」の話は、最初の回で書いている以上のことはありませんので、
「古本(こっぽん)」があった商店街について書いていきます。
裏本やビニ本とはまったく無関係な上に、古本屋とも関係がなく、
単に私の記憶をたどるだけの話ですので、ほとんど意味がない話が続きます。
ただ私にとって懐かしいというだけの無駄話です。
さて、「古本(こっぽん)」があった商店街ですが、
日の出町と弥生町の境目にありました。
東西に走っている道に面していくつもの店が存在していた商店街です。
現在残っているのは弁当屋の「ふれんど」くらいですが、
全盛期といいますか、昭和40年代から50年代にかけては、かなり賑わっていました。
今の地球33番地通りは、一方通行だったかどうか覚えていませんが、
とても狭い道でした。「地球33番地通り」という名称も付いていません。
また、一文橋はありましたが、架け替える前の橋でして、やはり狭く、
車が2台ギリギリ通過できるくらいの道だったように覚えています。
ちなみに、現在の「ふれんど」の場所に何があったのかは覚えていませんが、
その向かい側に「鳥吉」という持ち帰り専門の焼鳥屋がありまして、
その隣(西側)に、名前はわかりませんが、総菜屋がありました。
この総菜屋は、その後、現在の「ふれんど」の隣に場所を変えてしばらく営業していましたが、
そのうちなくなり、その後で、また別の鶏肉専門店がオープンしました。
しかし、今は、その鶏肉専門店も閉店しています。
ところで、「鳥吉」は現在も不定期で営業していますが、
場所は昭和小学校の北側に移動しています。
昭和40年代、50年代の話に戻りますが、
「鳥吉」の隣に総菜屋があって、
その隣(西側)に、商店街には似つかわしくない鉄工所みたいなものがありました。
そしてさらに西側には何があったのか、正確には覚えていませんが、
老夫婦がやっている食堂があったことだけは覚えています。
その向かいが、今でもやっているのかどうかは不明ですが、
看板は残っている「岩井」スーパーがありました。
私が小学生の頃、この「岩井」にはしょっちゅう行っていました。
駄菓子も売ってまして、当時話題の「仮面ライダースナック」などを、
買っていたように記憶しています。
また子供が喜びそうなオモチャの類いも売っていたように覚えています。
そして、「岩井」の隣(東側)ですが、「片岡写真館」という写真屋がありました。
その隣(東側)に、確か「日の出」という理髪店がありまして、
何度か散髪しに行ったことがあります。
さらにその隣(東側)には、「日の出寿司」という寿司屋がありましたが、
「日の出寿司」は私が小学校の頃に、場所を引っ越しています。
たしか、宝永町あたりで現在も営業しているのではないでしょうか。
「岩井」「総菜屋」「鳥吉」あたりは、当時、母親に連れられてよく行きました。
ちなみに書店街の名前ですが、
「日の出寿司」「日の出」という理容店など、
日の出という名前がついていたお店があったことを考えると、
日の出商店街という名称だったと思いますが、定かではありません。
この商店街は、地球33番地通りを西に越えて、現在の「フジ桜井店」まで続いていました。
地名でいうと、宝永町です。
宝永町、弥生町、日の出町などの住民は、この商店街を利用していました。
現在の「フジ桜井店」のさらに西側に行くと、
菜園場商店街という、より賑わっている商店街がありましたが、
主婦が徒歩で行くとなると、そこそこ大変な距離です。
なのでうちの母親は自転車で行っていました。
しかし今は、その菜園場商店街も、数店舗が営業しているのみで、
当時の賑わいはありません。
またまたかなり長くなってしまいました。
今回は、このへんで終わりますが、
また思い出したときに書いていこうと思います。
ただし、そのときには、
「日の出商店街」とか「菜園場商店街」とかのタイトルで書こうと思います。
ところで、トップ画像はまたしても、
“竹下ゆかり”出演のビニ本「SOMETHING」(八起書房)からのものです。
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コメント
コメント一覧 (8)
エレベーターで 7階に(階数は今では定かでは有りませんが)上がる迄、下から見上げ
ていた美人の お姉様達に『笑われる恥』と『イジられる快感』に、兄貴と私は屈折し
た感情を狂わせて悶えまくって居ました(初めて知るM男の感覚です)。
気持ちを切り替え、のぞき部屋の受付で入場料 2千円を支払って直ぐ脇の待合ソファー
に順番に腰を下ろして待つ事暫し。やがて奥から先客の人達が出て来るのを私は見て
いました。すると兄貴が「オイ、失礼だぞ。入店時より退店時の方が他人に顔を見ら
れ易いんだ。顔を見るな。出て来た人の気持ちを察してやれ」と私に性風俗のマナー
を伝授しました。その間、店長が各個室の掃除と消臭をして、終えると「ハイ、先頭
の人から順番にお入り下さい」と成って、兄貴が 1番室、私が 2番室、そして 3.4.5.6.
と後ろに並ぶ人達が順次入室。個室内は、のぞき部屋の例に漏れずティッシュBOXと
円椅子とクズ籠。後に知ったのですがマジックミラーに他店には無い、此の店独自の
仕掛けが付いていたのです。ミラーの中央より少し下に小さな円い貫通穴が網目状に
円く並んでいました(鉄道駅の切符売り窓口のガラスに小さい穴が沢山開いていて内
と外で会話が出来る仕組みのアレです)違いは網目の直径が 12センチ程度の小さめに
出来ている事。不思議なマジックミラーに気を取られて居ると個室のドアのノック音
がして、兄貴とタメ歳位の美人の お姉さんがキャミソール姿で入って来て『オプショ
ン サービス』の説明を始めました「手コキが 2千円。生フェラ口内発射が 5千円。如
何ですか?」と。私は「ご免なさい、オプションが有るのを知ら無くて持ち合わせが
足り無いんだ」と断りを入れましたが、本当の処は『仮性包茎』を見られたく無かっ
た訳です。 『高知市「古本(こっぽん)」(1)』に続きます。
モーリス輪島
がしました
の学生との交際費に削られナカナカ風俗遊びにバイト代を回せず、1箇月に1回行ける
かどうかでした。対する兄貴は『医療大学の医学部学生』としてのスキルを最大限発
揮して 某進学塾の英語講師のバイトを週2回務め、当時の大卒初任給を上回る、月20
万円を稼ぎ出し、其の資金力で風俗遊びを存分に享楽してました。又、大学で独仏の
両国語を習い(医学用語にはドイツ語は必須。精神医学にはフランス語は必須)英米仏
独の『裏ビデオ』は其のまま聞き取れるヒアリングも持ち合わせ、後に馴染みのヘル
ス嬢から体調相談を受けた時に的確な助言をして其処のヘルス店の嬢全員から信頼さ
れる兄貴でした。ヘルスに入店時に「咽喉がイガラっぽく声が擦れて、風邪薬を飲ん
だが全く良く成らない」と嬢から聞き、兄貴は其の嬢の咽頭を覗き見ると予測通りに
咽頭部が『淋病』に感染して、独特のデキモノが咽頭部に出来ていました。プレイに
入る前でしたが、兄貴は医者の卵としての正義感から直ぐ様、店長に説明し「此の子
は性病に罹っている。今から俺の大学のOGの女医が開業して居る 性病科の医院に受
診させなければ成らない」と伝え、其のヘルス嬢を大学のOG女医の下に連れて行き
兄貴は事の詳細(ヘルス遊びをしに来て偶然見付けた事)を隠さず話し、兄貴の先輩女
医も同じ女同士として患者のヘルス嬢に手厚い配慮の治療(風俗嬢だからと ぞんざい
な扱いはせず)をして、元の渋谷のヘルス店に嬢を連れ帰って来ました。此の一件で
兄貴は、店長を筆頭に其の店のヘルス嬢全員の『頼れるお兄さん』に成ったのです。
此の余波は、後に私にも及びました。 高知市「古本(こっぽん)」(1)に続きます。
モーリス輪島
がしました
確かに「性病科の女医」成る存在は、我々 野郎共には猥褻な想像を起こしますね。
兄貴と 後に渋谷のヘルス嬢達から聞いた『兄貴の手柄話し』に胸が熱く成り夢中で書き
込みしていて気付きませんでした。
モーリス輪島
がしました
大抵スキルの高い医師だそうです。男の医師からも一目置かれる『知識と技術』を持ち
合わせて居ると言われます。逆に高圧的で高飛車な女医は、新人研修時とか勤務病院で
時代遅れの長老医師の「女のくせに・・・」「女なんだから・・・」等と医師として認
められ無かった理不尽な扱いを受けたり、ジジイ患者から「お嬢ちゃん、俺の身体の具
合が判っているのか?」と子供扱いされた過去が有ると『女医だからと舐めるな!』と
高圧的に出るらしいです。尤も、女医全般に言える事は『患者を色事の対象とは見てい
ない』です。『仕事上の治療対象』と見ているだけ、エロ漫画やポルノ映画での状況は、
完全成る『男の妄想』である・・・。 以上の話しは、大学付属病院で勤務時に
兄貴が、同期の女医複数人から聴いた事でした。
モーリス輪島
がしました