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有名な裏本「マリア」です。
その人気ゆえに、
アンダーグラウンドな存在だった裏本を、メジャーでカジュアルにした効果がありました。
裏本業界において、エポックメイキング的な働きをしたといってもいいと思います。
つまり、裏本の歴史を語るときには欠かすことができない裏本です。
出演は、後にアダルトビデオでデビューする“渡瀬ミク”。
ただし、このときは“渡瀬ミク”というモデル名ではなく、“マリア”または、
その後で発売された裏本「少女ケイト」から、“少女ケイト”というモデル名が流通していました。
裏本「マリア」の衝撃は凄まじかったらしく、
当時の「オレンジ通信」では、100点満点で99点。
フェラ描写に迫力が不足しているという理由でマイナス1点でした。
ちなみに、1970年代半ばから1980年代前半にかけて、
雑誌「GORO」(小学館)で連載されていた“激写”というコーナーがありました。
これはカメラマンの篠山紀信が撮影した素人娘のヌードで、
モデルのルックスのレベルの高さから、かなり人気でした。
篠山紀信は、山口百恵にピンクレディーなど、当時のトップアイドルも撮影していましたが、
“激写”コーナーを寄せ集めた増刊号などは、トップアイドルを押しのけて、
素人娘が表紙を飾ることもありました。
それだけルックスのレベルが高かったのですが、
「オレンジ通信」では、その“激写”を引き合いに出し、
「あの激写雑誌にだって、これほどの愛くるしい美少女が登場したことがかってあっただろうか。」
と、裏本「マリア」をベタ褒めしています。
また、これも「オレンジ通信」ですが、
裏本「マリア」と、同時期に発売された裏本「イブの囁き」により、
裏本は第三期のブームに向かいつつあるという記述も見られました。
1980年代半ばの裏本界が、“渡瀬ミク”の登場により、
さらに活気づいていくだろうというエロ本ライター陣の期待が感じられます。
どちらかというと、水商売風のケバいネーチャンが主流だった裏本界隈に、
キュートな女の子、それもアイドル顔の娘の登場は事件だったのでしょう。
ところで、裏本「マリア」の内容的なことに関しては次回に書きたいと思います。
コメント
コメント一覧 (9)
ます。前回、私が「東武線 成増駅」近くの裏本ビニ本の専門書店で [How to sex] と
[優 美] を購入し、同行の兄貴が [少女ケイト] を購入出来たキッカケが、其れなので
す。此処で、件の「小学館」が出て来ます。
兄貴は、輪島様と同様に「オレンジ通信、アップル通信」等で 裏本ビニ本の情報を得て
いましたが、私は「GORO」の 姉妹誌「写 楽」(篠山紀信の素人激写館をメインにした
グラビア写真専門誌で、読みは [シャガク] だそうで) の誌面に「裏本ビニ本の紹介記事」
が掲載されていたのを見て知りました。
裏本ビニ本の表紙写真とコメント、紹介した書店名 (名称は忘れてしまいました) と
電話番号が記載され、コメントには「先月掲載した [優 美] の新装版 [How to sex]
です。お見逃し無く」と書かれて、サンプル写真には [裏本 マリア] 撮影時に出来た
水着の日焼け跡もクッキリな「マリア」が、ベール越しに両手でマンコおっぴろげを
見せてました。
「ゼッタイに買うぞ!」私は直ぐに、兄貴の留守電にメッセージを入れて次の土曜日
に案内する約束をとりました。続きは (後編) に記載させて下さい。
モーリス輪島
がしました
後ひとつは、親戚の叔父貴からの話し。遥か昔に講談社は、小学館の学年別学習誌
に対抗して『たのしい幼稚園~たのしい小学六年生』と成る、デザインから誌面内
容、付録つき迄「完全パクリ」の学習誌を出していましたが結果は惨敗。10年間程
で消滅、現在は『たのしい幼稚園』だけが残存する程度です。
「小学館」は「学研 (学習研究社)」と同様の教育出版を『祖』とする為『エロ物』
は理念に反してしまい抑制せざるを得ないですが (そう言えば「学研」も月刊漫画
雑誌を過去に出して来ましたが悉く廃刊に追い込まれて来ました) かたや「講談社」
の旧社名は「大日本雄弁会 講談社」であり (講談は、政経時事問題を名調子で皮肉、
批判する硬派な芸能) 言論と芸能の出版を『祖』とすれば「エロ物」から「お堅い
時事問題」迄、誰憚らず出来る訳です。
輪島様の、ご指摘が無ければ私も此処まで気付く事は有り得ませんでした。
理屈っぽい事を長々と失礼しました。
モーリス輪島
がしました
編集者と漫画家のタッグを組む執筆活動で想い出す事例が在りました。'68年創刊当
初の「少年ジャンプ」で「永井 豪」が作中の男性教師を変質者として描き、男子児
童と一緒に成って女子児童達にセクハラ行為をする。と言うシーンを入れると 担当
編集者は「もっとやれ、もっとエロシーンを入れろ」と「永井 豪」に要求。
同時期に創刊した青年誌「漫画アクション」の掲載漫画の様なエロシーンと 変質者
教師と児童達の対立を描いた内容に成り、文芸週刊誌 TVのワイドショーから「永井
豪」はバッシングされる結果と成ります。然し、彼なりの持論で世間のバッシング
に反論を展開しました。「少年ジャンプ編集部」は『バッシングされる度に世間に注
目され、其れが上手い宣伝に成っている』と高を括っていました。
ところが、世間からのバッシングが編集部に向くと有ろう事か担当編集者は「俺は、
やめろと言った筈なのに、彼は聞き入れ無かった」と逃げ口上を述べたのです。
此のセリフに「永井 豪」は執筆意欲を削がれ「やめたい」と言っても聞き入れてく
れず (本宮ひろし と並ぶ、ジャンプ2大作家に成っていた為、連載終了は出来無い話
しでした。創刊当初、此の2人の漫画は相次いで 映画化 TVでのドラマ化とアニメ化
され、初期の 少年ジャンプ躍進の功労者でした) 集英社に不信感を持ちつつ、執筆を
続けたく無い漫画を描かされる事は苦痛だったと聞きます。「マジンガーZ」に連載
漫画を切り替えるも 編集部は、エロ漫画を続けて欲しかった為、両者の関係は決裂。
連載を強制終了させ、集英社を離れたのでした (創刊から五年後の事でした。再び
「永井 豪」が集英社で執筆活動するのは '80年の「ヤング ジャンプ」創刊号から)。
長文お付き合い下さいまして有り難う御座います。続きは (後編) に記載させて下さ
い。
モーリス輪島
がしました
脱線コメントは今後控え目にします。
私も「永井 豪」ファンの一人です。当初はエロ物興味でしたが (幼稚園児だった頃の
私は同級生の家に遊びに行った時、彼の兄貴に「好きな漫画、読んで良いぞ」と言わ
れ『ハレンチ学園 第1巻 初版本240円』を手にした事が始まりでした)「デビルマン」
の頃にギャグ漫画調から劇画調のタッチに絵柄が変わり、併せて 壮大な大河ドラマ調
の漫画が多く成り、私も一層夢中に成りました。(TVアニメのデビルマンで脚本を執筆
した『辻 真樹氏』は後年「私が手掛けたアニメ版は、原作漫画に完敗した。原作は重
厚な大河ドラマだったが、アニメの方は俗悪な残虐アニメでしか無かった」と悔いて
居ました。後に辻氏は、作者の永井氏に『デビルマンの外伝物』のストーリーを提供
する様に成ります)
最後に、輪島様の『青年誌に連載する前までの女体の線は素晴らしい』の意見には私
も同感です。Gペンの強弱有る線で女性の肌のハリ具合を表現するのと 西洋画の裸婦
の様な理想的プロポーション (アメリカン ポルノ女優の〝爆 乳〟では無いナチュラル
バスト) は 確かに「其の通り」です (私は『あばしり一家』のヒロイン 菊の助 の早熟
なプロポーションに惹かれました)
モーリス輪島
がしました