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今回は広島市・横川の古本屋の話の続きです。
前回もそうでしたが、たいした話ではありません。
自分が書きたいだけです。
当時のことを思い出しながら書くことが快感なだけです。
ところで、私は大学入学後1年半、広島市南区翠に住んでいました。
その後は、大学の移転の関係で、広島県福山市、広島県東広島市と住所を変えています。
大学を卒業した後は、
会社に入り、しばらく東京都内で研修を受けたのちに、再び広島市に住むことになります。
社会人になって住んでいた場所も広島市南区で、宇品御幸というところでした。
学生時代に南区翠に住んでいましたので、その近くの南区宇品御幸に決めた次第です。
さらにその後は、転職して引っ越ししましたので、
宇品御幸に住んだのは2年半でした。
というわけでして、広島市に住んだ期間は、大学時代の1年半と、
社会人になって以降の2年半。
トータルで4年間住みました。1980年代後半から1990年代初頭のことです。
その間、横川の古本屋に行ったのは、実は数回だけでした。
裏本やビニ本が売られていたということが強烈に印象に残っていて、
このブログで取り上げた次第です。
こんなブログをやっている私ですが、
自分で購入した裏本やビニ本は、全部で5冊程度でした。
すべて学生時代に買ったものです。
しかし、何度か引っ越しをするなかで、処分に困り始めます。
捨てるのはもったいないということで、横川の古本屋に売りに行こうと思い立ちました。
とはいえ、これは心理的ハードルがかなり高い行為です。
横川の古本屋には確かに裏本やビニ本が置かれていましたが、
店主のオヤジが個人的に購入したものや、知人から譲り受けたものを
店頭で売っているかもしれません。
つまり日常的に裏本やビニ本の買取をしていないかもしれないということです。
私が裏本とビニ本を持ち込んだときに、
「ビニ本はともかく、裏本は非合法だから買えない」などと言われたら困ります。
途中でハシゴを外された気持ちになります。
それにもし買取してくれても、金額が異常に安かったりすると残念です。
裏本の処分に困ってるな、などと足元を見られ、
安値を付けられる可能性もないわけではありません。
とはいえ、最終的には、私はその古本屋に裏本とビニ本をすべて持ち込みました。
結果は、買取してくれました。ただし、
金額がいくらだったのかは思い出せません。
思ったよりも高くもなく安くもなくといったところではなかったでしょうか。
後々、印象に残るほどの金額ではなかったということです。
店主のオヤジの反応は、淡々としたものでした。
普通の書籍を買取する要領で見ていました。
裏本とビニ本だけでなく普通の写真集や書籍なども
いっしょに持ち込んだように記憶しています。
ただし、学生時代に売りに行ったのか、
それとも社会人として働いていたときに売りに行ったのかは覚えていません。
いま考えると、やはり社会人になって以降のことじゃなかったかと思います。
学生時代の私は、
“こんないいオカズを処分するのはもったいない”と思っていましたが、
社会人になって以降は、同じ裏本やビニ本をオカズにすることに
飽きがきていたこともあったように思います。
ところで、当時、同じ会社に同期で入社したOLが数人いました。
その中のひとりと今でも年賀状のやり取りをしています。
やり取りは、かれこれ30年続いています。
それはさておき、入社2年目くらいだったでしょうか、
男女含めた同期だけで、彼女のアパートに集まったことがありました。
それが、横川の古本屋のすぐ近くだったのです。
古本屋のことを話題にするわけにもいかず、
ひとりで恥ずかしさを抱えていたことを思い出します。
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今回は広島市・横川の古本屋の話の続きです。
前回もそうでしたが、たいした話ではありません。
自分が書きたいだけです。
当時のことを思い出しながら書くことが快感なだけです。
ところで、私は大学入学後1年半、広島市南区翠に住んでいました。
その後は、大学の移転の関係で、広島県福山市、広島県東広島市と住所を変えています。
大学を卒業した後は、
会社に入り、しばらく東京都内で研修を受けたのちに、再び広島市に住むことになります。
社会人になって住んでいた場所も広島市南区で、宇品御幸というところでした。
学生時代に南区翠に住んでいましたので、その近くの南区宇品御幸に決めた次第です。
さらにその後は、転職して引っ越ししましたので、
宇品御幸に住んだのは2年半でした。
というわけでして、広島市に住んだ期間は、大学時代の1年半と、
社会人になって以降の2年半。
トータルで4年間住みました。1980年代後半から1990年代初頭のことです。
その間、横川の古本屋に行ったのは、実は数回だけでした。
裏本やビニ本が売られていたということが強烈に印象に残っていて、
このブログで取り上げた次第です。
こんなブログをやっている私ですが、
自分で購入した裏本やビニ本は、全部で5冊程度でした。
すべて学生時代に買ったものです。
しかし、何度か引っ越しをするなかで、処分に困り始めます。
捨てるのはもったいないということで、横川の古本屋に売りに行こうと思い立ちました。
とはいえ、これは心理的ハードルがかなり高い行為です。
横川の古本屋には確かに裏本やビニ本が置かれていましたが、
店主のオヤジが個人的に購入したものや、知人から譲り受けたものを
店頭で売っているかもしれません。
つまり日常的に裏本やビニ本の買取をしていないかもしれないということです。
私が裏本とビニ本を持ち込んだときに、
「ビニ本はともかく、裏本は非合法だから買えない」などと言われたら困ります。
途中でハシゴを外された気持ちになります。
それにもし買取してくれても、金額が異常に安かったりすると残念です。
裏本の処分に困ってるな、などと足元を見られ、
安値を付けられる可能性もないわけではありません。
とはいえ、最終的には、私はその古本屋に裏本とビニ本をすべて持ち込みました。
結果は、買取してくれました。ただし、
金額がいくらだったのかは思い出せません。
思ったよりも高くもなく安くもなくといったところではなかったでしょうか。
後々、印象に残るほどの金額ではなかったということです。
店主のオヤジの反応は、淡々としたものでした。
普通の書籍を買取する要領で見ていました。
裏本とビニ本だけでなく普通の写真集や書籍なども
いっしょに持ち込んだように記憶しています。
ただし、学生時代に売りに行ったのか、
それとも社会人として働いていたときに売りに行ったのかは覚えていません。
いま考えると、やはり社会人になって以降のことじゃなかったかと思います。
学生時代の私は、
“こんないいオカズを処分するのはもったいない”と思っていましたが、
社会人になって以降は、同じ裏本やビニ本をオカズにすることに
飽きがきていたこともあったように思います。
ところで、当時、同じ会社に同期で入社したOLが数人いました。
その中のひとりと今でも年賀状のやり取りをしています。
やり取りは、かれこれ30年続いています。
それはさておき、入社2年目くらいだったでしょうか、
男女含めた同期だけで、彼女のアパートに集まったことがありました。
それが、横川の古本屋のすぐ近くだったのです。
古本屋のことを話題にするわけにもいかず、
ひとりで恥ずかしさを抱えていたことを思い出します。
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コメント
コメント一覧 (8)
私にパンティの入った封筒を渡してくれた其の美少女は、兄貴から聞いた私の歳を知る
と「私も今年で19歳よ」との返事。兄貴と私は「本当かい?もっと下の歳に見えるぞ」
と驚きを隠せず。すると彼女は、名前と住所を指で隠して『原付』の免許証を見せてく
れました。「本当だ、俺とタメだぜ」と 私は尚も驚きました。
歌舞伎町の雑踏のなかに舞い戻った兄貴と私でしたが、私は一刻も早く先程の彼女から
受け取ったパンティを見たい嗅ぎたいの衝動を抑えられずソワソワすると「ヤス、其れ
ならカプセルホテルに入ろう。俺も先程、俺とタメ歳の嬢に 生フェラ 口内発射 して
貰って多少とも脚がふらついているんだ」と兄貴の提案。勿論 私も 即承知。
歌舞伎町の外れに在るカプセルホテルのカプセル内に入って直ぐ 封筒を開いてパンテ
ィを手に取ると随分と湿っていました。此れで疑問が解けました。パンティを渡すの
に 5分待たされたのは、其の間 パンティを穿いた上からオナニーをして愛液でビシャ
ビシャに成る迄、繰り返しオナニーを重ねてした事。封筒に入れて持って来た時、顔
が上気していたのは、オナニーで身体が熱く成ったから。兄貴が言った「あの子は、
ヤスが悦ぶ様にしてくれるから」とは、オナニーで 愛液をタップリとパンティに浸み
込ませてくれた事。そして此のパンティ、童顔の彼女に似つかわしい 清純派パンティ
でした。私はムンムンと匂う彼女の愛液の芳香を嗅ぎつつ、のぞき部屋でのショーを
想い返しながら 3連続発射してしまう程、興奮しました。 長文でスミマセン。
モーリス輪島
がしました
から色々なエロ事(裏本、裏ビデオ、性風俗)に於いて私との間に大きく差を着け、一人
勝ちする様な兄貴に何時も敗北感を感じて来ました。
のぞき部屋を出てカプセルホテルに向かう途中、兄貴は『生パンティ』の入った封筒に
羨望の目を向け「ヤスは、いいよなぁ~。あんな可愛い子のパンティを手に入れて」と
私に初めてボヤキを入れたのです。其の台詞に私は思わず勝ち誇った様なニヤついた顔
に成り(ヤッタ!俺が初めて兄貴に勝った!)心の中はガッツポーズでした。然し、私の
兄貴に対する敗北感は否めず「俺だって兄貴が羨ましいぜ。美人のお姉様の色っぽい唇
の内にペニスをぶち込んで、お口の内にスペルマぶちまけたんだぜ。今の俺には出来無
い事だよ。兄貴だったら次の時に来店して、あの子のパンティを買う事は簡単だろう」
すると兄貴は真顔で「ヤス、其れは違うぞ。風俗嬢とは『一期一会』なんだ。次に来て
まだ居るとは限らないぞ。おそらく あの子は学生アルバイトで働いて居るのだろうよ。
どう見ても素人風俗嬢じゃないか、あの子自身が楽しんで遊ぶ様にショーを演じてたし、
お前が馬鹿丸出しで其の封筒を開けようとしたら本気で恥ずかしがっていたし、何より
実年齢を言う職業風俗嬢は、有り得ないぞ。多分、夏が終わる頃には辞めて居ると思う
ぞ」と性風俗遊びの空しさを諭されました(事実、私が夢中に成った童顔の美少女は、
8月の後半途中で件の『のぞき部屋』を辞しました)。
最後に、私も風俗初心者の頃は 緊張インポと興奮暴発をよくヤラカシタ過去があります。
モーリス輪島
がしました
兄貴が 雅さんの身体を口と舌で味わい尽くし、口内発射でプレイが終了。シャワーの後
服を着て 待合室に戻ると他の 5人のヘルス嬢達から「お兄ちゃんヤラしーい」「雅姉さんが
あんなに声をあげて感じるのは今迄無かったんだから」「お兄ちゃんは、お姉さんに何をし
たの?」とイジられまくったと後日、私に伝えて「其の日に聞いた歌舞伎町のワンダラーの
『ラッキーホール』をヤスが受けると仮性包茎の改善に良いとの事だ。此れから行くぞ」と
歌舞伎町のワンダラーに連れて行かれました。1階の入り口は 2階へ上がる階段が在るだけ
グルリと回る様に 2階へ上がるとカウンターが在るだけの部屋に店員が 1人居て「其のまま
5階迄、階段を上がって下さい」と説明。「まだ上へ上がるのか」と呆れつつもグルグルと
回り続ける様に階段を上がって 5階に着くと、2階より大きなカウンターが在り、1人の店員
が「マッサージですか?ラッキーホールですか?」と聞いて来き、兄貴が「俺はマッサージ
だけど。こいつはラッキーホールだ」答えました。「では、マッサージの人は右手の待合室
でお待ちください。ラッキーホールの人は 2千円です」と言われ、兄貴は右の待合室に入り、
私は店員に金を払うと「此の札を壁の穴から中に入れて下さい」と店員からプラスチック製
の小さな楕円形の番号札を渡され「奥へどうぞ」とカウンターの奥へ案内されると、個別の
シャワー室の様な仕切りが 5人分在りカーテンが掛かっていました。真ん中の個室のカーテ
ンを開いて店員が「どうぞ、中へ」と私を導くと個室の奥の壁に丁度ペニスを挿し入れられ
る高さに 6~7cm程の直径の穴が壁を打ち抜いて開いていました。
スミマセン続きは、裏本「少女伝説 2 ―課外授業ー」になります。
モーリス輪島
がしました
「雅さん」の 2人だけです。歌舞伎町の『ワンダラー、ラッキーホール』は兄貴に教え
られて以後、毎月最低でも 2回は訪れて毎回受付で聞かれる「同じ質問」其の後 5階迄
階段を上がり続ける「同じ進行」5階カウンターでの「同じ料金、同じ手順」此れを繰
り返し受けていれば大抵は憶えられます。
『ワンダラー』での「ラッキーホール」を2年間「千景さん」の手指技を受けていました。
モーリス輪島
がしました