おとなの妄想くらぶ

2020年07月

SweeT MeMoRY_11

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前回に引き続き、またしても福山市花園町のアパートのお話です。

私は、当時、福山のアパートに配達された、
友人からのハガキや年賀状などをいまだに持っておりまして、それによると、
私の部屋は202号となっています。

不動産契約書などの類いは、もうすでに捨てていてありませんから、
そのハガキや年賀状で、正確な住所を改めて知ることができました。

ところで、当時は、携帯電話などありませんし、私のアパートに電話はありません。

広島市の下宿に住んでいたときは、私に用がある場合は、
大家さんの自宅の固定電話に電話を掛けてもらって、呼び出してもらってました。

これは何も珍しいことではなく、ほとんどの学生がそうしていました。

というのも、固定電話を開通するには、電話の権利が必要でして、
その権利が高価で7~8万円もしたからです。

携帯電話が普及した現在では、固定電話の権利は無価値になりました。

それはさておき、

大家さんの電話を貸してもらっているというわけでして、
ただ単にヒマだからという理由で電話を掛けてくる知人はいません。両親も然りです。

緊急性の比較的高い用事があるときにだけ電話を使うというのが、
世の中の普通の感覚でした。

アパートの話に戻りますと、

外階段にいちばん近いところが201号、トイレや洗濯機などが置かれている共有スペースを挟んで、
私の部屋が202号、隣の203号は空き部屋で、その隣が204号だったと思われます。

そして今回は、201号の住人について書きたいと思います。

私は、引っ越したときに、201号と204号を訪ねて挨拶をしました。

204号の住人は、比較的在宅していることが多いようで、すぐに会えましたが、
201号の住人は不在が多く、なかなか挨拶できないでいたように記憶しています。

古いアパートですから、住人が廊下を歩いたり、
部屋の扉を開ける音などはほかの住人にも聞こえます

その日、私は数少ない友人のひとりがアパートに来ていて、ふたりで部屋にいました。
現在は近畿地方の某県で市役所に勤めているヨウイチ(仮名)です。

ヨウイチは、広島市の下宿にもよく来ていた仲の良い友人でして、
今でも年賀状のやり取りをしていますし、お互いかなり離れたところに住んでいるのですが、
数年にいちど会うくらいの親しい関係です。

たしか、ヨウイチと部屋にいるときに、201号に人が入る音を聞きつけ、
引っ越しの挨拶に行ったような気がします。

私は学生で社会経験もありませんので、ただ挨拶しただけで、
お菓子とか粗品の類いを渡すなどという気のきいたことは思いも付きませんでした。

201号の住人は、私と同じくらいの年齢の若い男性でした。
私は、挨拶して部屋に戻るつもりでしたが、呼び止められて部屋のなかに招かれました。

6畳一間の部屋なので、部屋のなかはすべて見渡せるのですが、
ほかに、やはり若い男性と、若い女性がいました。合計3人です。

人見知りで警戒心が強い私は躊躇しましたが、断る理由もなく招かれることにしました。

いちど部屋に戻り、ヨウイチとふたりで201号の部屋に入ったわけです。

古いアパートだと、建物に入るときに靴を脱ぎ、
共有廊下および自室は土足で歩かないタイプのアパートがありますが、

この福山市花園町のアパートは、自室に入るときにはじめて靴を脱ぐタイプ、
いわゆる貸家式と呼ばれるアパートでした。

そういうわけで、扉を開けていきなり部屋になってはいますが、
扉と部屋の間に、靴を脱ぐ土間のようなスペースがありました。

また話が脱線しました。201号の住人の話に戻ります。

私とヨウイチは、201号にいた3人に招かれて雑談することになるのですが、

今後の話をわかりやすくするために、仮名を付けます。

201号の住人、つまり部屋を借りている人間をマエダ(仮名)さん、

そして若い女性をキクチ(仮名)さん。もうひとりの若い男性をヤスハラ(仮名)さんとします。

マエダさんとキクチさんは付き合っており恋人同士の関係で、
彼らの友人がヤスハラさんです。

さらにヤスハラさんは、このアパートの大家の息子でした。

そしてマエダさんは、
いままさに私が通っている大学の先輩だということもわかりましたが、
すでに退学しているとのことでした。

なぜ退学したのかは、この後の話と関連するのですが、

私はずっと、なにか不安な直感がずっと働いておりまして、
話を切り上げられないものかと思っていました。

一方、ヨウイチは普段から飄々とした人物でして、自然体という雰囲気で座っています。

ちなみに、部屋は殺風景な感じで生活臭さがありませんでした。
段ボールがいくつも重ねて置かれているのが気になったのと、
照明が裸電球だったことも気になりました。

部屋が黄色がかり暗かったため、話をしながらも、
蛍光灯に買えた方がいいのではないかと思っていました。

そして本題なのですが、マエダさんがおもむろに洗剤を出してきて説明を始めました。

なんとなく察した方もいるかもしれませんが、マエダさんはアム〇〇〇をやっていました。

伏字にしましたが、アム〇〇〇とは、ウィキペディアの記述を借りると、
“家庭日用品等を主に連鎖販売取引で販売する企業”です。

さらに、私の「
アム〇〇〇をやっていました」という記述は文法的には間違っているのですが、
一般的にはよく使われる言い方です。

マエダさんは、品物の販売と同時に会員を広げる活動をしていました。
洗剤はもちろんアム〇〇〇の商品です。

そして、私とヨウイチに対して、勧誘が始まるのですが、
その顛末はまた次回以降に書きたいと思います。

トップ画像は、以前に取り上げました、
ビニ本「SweeT MeMoRY スィートメモリー」(飛鳥書房)からのものです。

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イリュウジョン_11

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今回は私の思い出話です。

またしてもどうでもいい無意味な内容です。

私は、1987年(昭和62年)10月から、1988年(昭和63年)03月までの間、
広島県福山市に住んでいました。わずか半年間でした。

広島市から引っ越して福山市に来た私は、その半年後に、
東広島市にまた引っ越すことになるのですが、

これはあらかじめ決まっていたことで、ちょうど学校の移転と重なった結果です。

ですので、福山市のアパートに入居する際も、半年間限定ということで契約しました。

普通は、不動産屋にいくつか候補を上げてもらって、
それらを案内してもらい、そのなかから決めるという流れだと思いますが、

福山市のアパートに関しては、半年のみだし、学校からそう遠くなければどこでもいいと思い、
ひとつだけをピックアップしてもらい、そこに案内してもらってすぐに決めました。

花園町2丁目にありました。
たしか、1階は会社で、2階部分がアパートだったように記憶しています。

道路に面した外階段を上がるとアパートの廊下になっていて、
向って右側に、部屋がありました。

全部で4部屋でした。

階段を上がってすぐのところに部屋がひとつあり、

トイレと、共用の洗濯機が置かれている、ちょっとしたスペースがあり、
そのスペースの隣が私の部屋でした。

私の部屋の隣にもうひとつ部屋があり、その隣にまたもうひとつ部屋がありました。

6畳台所付きで風呂無し、家賃は1万円だったように記憶しています。

部屋の一角に流し台が付いており、いわゆるワンルームタイプなのですが、
“ワンルーム”という名称から連想されるような洋風のアパートではなく、

古臭い感じのアパートで、部屋は当然和室です。

広島市南区翠の下宿は4畳半でしたので、6畳の部屋はとても広く思えました。

学校へは歩いても5分とかからない場所です。
私は自転車で通っていました。

私の他に2部屋が埋まってまして、私の隣が空き部屋になっていました。

この2部屋の住人がかなり濃厚な人物でして、

その話を書こうと思っているのですが、かなり長くなりそうなので、

今回は、福山市での私の生活スタイルについて少し書くだけにします。

ところで、私以外の同級生は、教養課程を終えたタイミングで福山市に移動したのですが、

私は、あまり成績が良くありませんでしたので単位をいくつも落とし、
いまだ教養課程を取得する必要がありました。

なので、教養課程を履修するために、
ほかの学部に交じって授業を受けなくてはならなかったのですが、

それが、月曜日1時限目の『経済学Ⅱ』でした。

私は理系の学部でして、経済学には全く興味なかったのですが仕方ありません。

話が脱線しました。

私は学校が終わると、
『セルコ』という地元のスーパーマーケットで買物してアパートに帰り、自炊していました。

『セルコ』はチェーン店で、福山市に何店舗かありましたが、
私が行くところはいつも決まっていました。

理由は、アパートから近いことと、レジに美人なお姉さんがいたからです。

ただし『セルコ』の場所がどこだったのかまでは正確に覚えていません。


ちなみに、つくるのは毎日同じメニューで野菜炒めでした。

『セルコ』は名前を変えて今でもまだ営業しているようです。


それから夕食を食べた後、風呂屋に行きます。
この風呂屋もほぼ毎日行っていましたが、正確な場所を覚えていません。

福山市の銭湯をネットで調べると、“だいご湯”というのがヒットしました。
かなり年季の入った古い風呂屋です。

アパートからそこそこ距離があったことだけは記憶にありまして、
もしかしたら、“だいご湯”だったかなと思いますが、正確には思い出すことができません。

風呂に入ると、アパートに帰り、
その後、部屋でレコードを聴いたりテレビを見たり、エロ本を見たりして過ごしていましたが、

2日にいちどくらいの頻度で、深夜もやっている書店に行ったり、
レンタルビデオ屋に行ったりしました。

どうでもいい話が続きましたので、このへんで終わります。

住人の話は、また次回以降で書きたいと思います。

ところで、トップ画像は、裏本「イリュウジョン」から、
ムチムチお姉さん・中川友美の放尿シーンです。

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きずな_01

裏本「きずな」1985年(昭和60年)10月頃発売

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スレンダーでモデル体型の美人。
ホットパンツから出ている脚も長くてキレイです。

女優の篠ひろ子を、少し濃い顔にしたようなお姉さんです。

マンコに指を4本も入れられたり、アナルにバイブを突っ込まれたり、
はたまたいろいろな体位でハメられたりと、内容的にはハードなのですが、

高嶺の花的なルックスが災いしてか、
当時のオレンジ通信では、総合的には高評価でしたが、

以下のように評されてもいました。

「彼女の冷たい美ボーに共感ボッキする諸兄はともあれ、
どこか冷めた印象が最後までつきまとう読後感でした。」

改めて中身を見ますと、立位や立ちバックでのカラミは相当にヒワイです。
片方の脚を高く上げたり、またマンコ周辺の肉を左右に思い切り開いたりと、

男優が結合部分を晒すテクニックが絶妙で、いい仕上がりになっています。

そこで気が付いたのですが、どのカットもモデルの表情がほぼ同じです。

そのため、いかにもビジネスファックという印象が強くなり、
そのことが上記のオレンジ通信での評価につながったと思われます。

しかし、本当にビジネスファックなのかというと、実はそうでもありません。

バイブをねじ込まれたマンコからは無色透明なマン汁が滴り落ちていますし、
挿入されたチンポにもたっぷりと付着しています。

バイブを入れられ続けたアナルが、少し脱肛気味になっている光景も
凄まじくエロチックです。

ちなみに薄っすらと確認できる、レースクイーン風のワンピースの水着跡も興奮を誘います。

ところで裏本「きずな」は、表紙替え再生本で、
元本は、1985年(昭和60年)03月頃発売の裏本「スタイリスト」です。

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楽園_02

裏本「楽園」1986年(昭和61年)09月頃発売

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前回取り上げました、裏本「楽園」(前編)の続きです。

内容について書いていきたいと思います。

まず前半に登場の和服美人のカラミですが、一般的な裏本で見られる普通のセックスで、
とりたてて激しいわけではありません。

ただ、和服用にセットしていた髪を、途中で解くのですが、

解いた後の乱れたヘアスタイルでのプレイが、妙に生々しく映ります。

恐らくは、最初のきちんとした髪型とのギャップに心を揺さぶられるのだと思います。

ちなみに、解いた髪型のほうが色っぽく見えます。

ところで撮影場所ですが、老舗旅館の一室のような場所から始まり、
最後は、格安ソープの風呂場みたいなところでお腹の上に発射されています。

今でも存在するかどうかわかりませんが、
東京・鶯谷に、昭和レトロな古いラブホテルがありました。

山手線や京浜東北線などが走る、JRの線路に近いので、
電車の中やホームからも建物が見えるのですが、

風呂が岩風呂になっていて、ラブホテルのビル側面に大きく“岩風呂”と書かれた看板がありました。

コンクリートに“岩風呂”の文字が彫られていたのかもしれません。

電車の中やホームから、この“岩風呂”の文字が見えました。


私はそこをいちどだけ利用したことがありますが、
裏本「楽園」の舞台は、そのラブホテルに似ている感じがします。

それはさておきまして、後半に登場するモデルですが、

前半の和服美人と顔や雰囲気が似ているため、同一人物かと思いましたが、

当時のアダルト雑誌には、別人という旨のことが明記されていました。

こちらのモデルも、カラミ自体はいたってノーマルで、
最後はお腹に発射されて終わっています。

特徴的なことがあるとすると、相当な剛毛であり、
マンコ周辺はおろかアナル周辺にまで陰毛が広がっています。

さらに恥丘付近の陰毛は、かなりの逆立ちも目立ちます。

あと、マンコを思い切り広げられてクリ皮を剥かれているシーンがありますが、

クリが大きいです。

剛毛であったり、クリが大きかったりするのは、
裏本界隈ではマイナス要素ではなくて、むしろプラス要素です。

それから、前半のモデルにも後半のモデルにもいえることですが、
ふたりともスタイルがとても良いです。

加えて、実際に高身長なのかどうかは写真からは判断つきかねましたが、
プロポーションが抜群なので、高身長に見えます。

裏本モデルとしては高レベルなのではないでしょうか。

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楽園_01

裏本「楽園」1986年(昭和61年)09月頃発売

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モデルがふたり出演する合本です。

同時に登場しているわけではないので、オムニバスという表現が正しいかと思います。

最初の3分の2は、トップ画像に載せた表紙の和服美女が登場し、

後半の3分の1は、左下の円内に載っている、手品師みたいな衣装の美女が登場しています。

ちなみに和服美女のパートですが、
1984年(昭和59年)03月頃発売の裏本「序の舞」が元本です。

当時のアダルト雑誌では、女優の名取裕子に似ていると紹介されていました。

オレンジ通信では、それなりに高評価だったのですが、
裏本やビニ本に限らず、モデルはやはりアイドル系の若い美少女が人気でしたので、

ユーザーの人気はいまひとつだったと思われます。

とはいえ、出演のモデルふたりもそれなりに若く、
せいぜいでアラサーくらいだとだと思われますが、

和服となると、どうしても年齢が高く見えてしまいます。

裏本「楽園」が発売された当時の私なら、確実にスルーしていた裏本です。

今回改めて取り上げるまで、存在自体を知りませんでした。

しかしアラフィフとなった今は、裏本「楽園」の良さがわかります。

当時のオレンジ通信に以下の紹介文が掲載されていました。

「~なによりもここには、忘れられ、冷遇されている、
大人の女性の色気というものがプンプンと匂ってくるモノがあるノダ。」

奥出哲雄氏の文章です。今の私なら、全面的に同意です。

アイドル系美少女ばかりがもてはやされる裏本&ビニ本業界にあって、
本当にスケベなのは、裏本「楽園」のようなモノだというわけです。

私は思わず、頷いてしまいました。

中身については、次回また書いていこうと思います。

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