おとなの妄想くらぶ

昭和から平成にかけての、
アンダーグラウンドメディアのお話を中心に綴っていきたいと思っています。
ときに、そこから逸脱することもあるかもしれませんが、
よろしくお願いいたします。

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今回は、高知市南はりまや町にある書店「いそっぷ館」のお話です。

かなり昔からありますが、現在でも営業中です。

どのくらい昔からあったのかというと、
私が高校に入学する前後にオープンしたような記憶があります。

具体的には、1981年とか1982年あたりです。
なので、40年近く続いていることになります。

本が売れないと叫ばれて久しいですが、
そんななかでここまで長期にわたり営業しているのは物凄いことだと思います。

「いそっぷ館」がオープンしたころ、私は実家のある高知市の東側地区から、
西側地区にある学校へ自転車で通学していました。

その通学路にあったのが「いそっぷ館」です。
通学路といいましても、自転車ですので、私が通る道が通学路となるわけですが、

行きも帰りも、「いそっぷ館」がある十字路をよく利用していました。

今でもそうですが、オープン時からビル全体に「いそっぷ館」という看板が掲げられています。

それを最初に見つけたときは、ビル全体が書店で、
上から下まで全部のフロアに本が陳列されているのかとも思いました。

書店大好きな私は、オープンしたのを見つけた直後に、さっそく店内に入るのですが、

ビル全体が書店というわけではなくて、店舗は1階のみ。

広さもそこまで大きくはありませんでしたし、品揃えも、街の本屋さんという感じでした。

この「いそっぷ館」で記憶に残っているエピソードがあります。

1982年ごろの出来事だったように記憶していますので、
オープンからそんなに経ってなかったように思います。

当時、ロリータ写真集というものが、巷にあふれ始めようとしていたころでした。
18歳未満、特にローティーン以下の少女を被写体にした写真集です。

当然今ならば、存在自体が許されない一発でアウトな代物です。

ところで1980年代当時、陰毛を晒すのは御法度でしたから、
雑誌や写真集などで、大人の女性の股間は、何らかのボカシ処理が施されていました。

しかしロリータ写真は違います。
10歳以下、もしくはせいぜいでローティーンの少女たちですから、
陰毛が生えていない状態です。

ゆえに股間の、いわゆる“ワレメ”は、隠されずにそのままでした。

昔も今もそうですが、
クリエイターの側は、マンコ解禁に肯定的な態度の人たちが少なくありません。
写真でも映像でも、海外では男女の股間を隠さないのが当たり前だからです。

しかし国内においては、ワイセツという理由で今も隠されています。

大人の女性、特に日本人の大人の女性の股間には必ず陰毛があります。

欧米のように、陰毛を剃るカルチャーが普及していないのは当時も今も同じだからです。

そのため、日本でマンコの解禁を実現すると、必ず陰毛が見えるという事態になります。

ただしここでややこしい問題が発生します。

マンコ解禁のはずが、必然的に陰毛も解禁されますので、
マンコの解禁=陰毛の解禁、ということになり、

マンコが解禁されていない現状は、マンコがワイセツだと捉えられているのはもちろんのこと、
陰毛もワイセツと捉えられている。人々は必然的にそういう意識になります。

そのため陰毛自体がワイセツだと歪曲されて捉えられたまま、
1990年代以降の、なし崩し的な陰毛解禁となるわけですが、それはさておき、

陰毛がヒワイならば、陰毛がそもそもない少女の股間はワイセツではない、
つまり隠す必要がない、という認識が浸透していきます。

さらに初期のロリータ写真集は、芸術的なテイストを付加させた雰囲気が、
前面に押し出されていたものも少なくなかったこともあり、
ワイセツ議論の土俵に上がることがありませんでした。

加えて、少女のワレメ及び、そのヌードをワイセツと決めつけてしまうと、
それによって、少女ヌードに発情しているという動機も連動して付いてくるため、
この問題に関して、当局はかなり慎重でした。

そのため、
ロリータ写真集が、「いそっぷ館」のような街の本屋さんの店頭にも置かれ、
少女のワレメが街にあふれるようになります。


私が見た具体的な光景は、
超有名なロリータ写真集『私はまゆ13歳』の「いそっぷ館」での平積みです。

当時は、全国のいたるところで、このような光景が見られました。
なので、平積みを発見しただけなら、特に珍しいことではありませんでした。

ここでやっと、「いそっぷ館」エピソードに入りますが、

中年女性ふたりが、『私はまゆ13歳』を手に取ってパラパラとめくり、
ワレメが映っているページや、年齢にしては豊満なバストが露わになっているヌードページを開き、
雑談しているところに出くわしました。

どんな雑談内容なのか詳しくはわかりませんでしたが、
中年女性ふたりなので、性的好奇心ではないように思われました。


ふたりの表情から察するに、
「これはちょっと問題だ」みたいな雰囲気、つまり写真集に否定的な感じです。

しかし、その後、ロリータ写真集をはじめとするロリータ需要は拡大していき、
『私はまゆ13歳』のモデル・花咲まゆは、当時のメジャー誌である、
『平凡パンチ』にもヌードが掲載されましたし、

同時期にやはりロリータヌードで人気のあった、
“少女M”は花咲まゆよりも、さらにメジャーな存在になっていきました。

そんなロリータブームに終焉が訪れるのは、例の“宮崎勤”の事件があって以降のことです。

ところで、トップ画像はまたしても、
“竹下ゆかり”出演のビニ本「SOMETHING」(八起書房)からのもの。

セミロングの黒髪も、ツルスベな背中も魅力的です。


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今回は、高知市「古本(こっぽん)」(1)に引き続いての2回目です。

前回からかなり期間があいてしまいました。
2回目以降をはやく書きたいと思っていましたが、なかなか取りかかれず、
残尿感がある感じがして居心地が悪かったです。

というわけでさっそく始めようと思いますが、

古本屋「古本(こっぽん)」の話は、最初の回で書いている以上のことはありませんので、
「古本(こっぽん)」があった商店街について書いていきます。

裏本やビニ本とはまったく無関係な上に、古本屋とも関係がなく、
単に私の記憶をたどるだけの話ですので、ほとんど意味がない話が続きます。

ただ私にとって懐かしいというだけの無駄話です。

さて、「古本(こっぽん)」があった商店街ですが、
日の出町と弥生町の境目にありました。
東西に走っている道に面していくつもの店が存在していた商店街です。

現在残っているのは弁当屋の「ふれんど」くらいですが、
全盛期といいますか、昭和40年代から50年代にかけては、かなり賑わっていました。

今の地球33番地通りは、一方通行だったかどうか覚えていませんが、
とても狭い道でした。「地球33番地通り」という名称も付いていません。

また、一文橋はありましたが、架け替える前の橋でして、やはり狭く、
車が2台ギリギリ通過できるくらいの道だったように覚えています。

ちなみに、現在の「ふれんど」の場所に何があったのかは覚えていませんが、
その向かい側に「鳥吉」という持ち帰り専門の焼鳥屋がありまして、
その隣(西側)に、名前はわかりませんが、総菜屋がありました。

この総菜屋は、その後、現在の「ふれんど」の隣に場所を変えてしばらく営業していましたが、
そのうちなくなり、その後で、また別の鶏肉専門店がオープンしました。

しかし、今は、その鶏肉専門店も閉店しています。

ところで、「鳥吉」は現在も不定期で営業していますが、
場所は昭和小学校の北側に移動しています。

昭和40年代、50年代の話に戻りますが、
「鳥吉」の隣に総菜屋があって、
その隣(西側)に、商店街には似つかわしくない鉄工所みたいなものがありました。

そしてさらに西側には何があったのか、正確には覚えていませんが、
老夫婦がやっている食堂があったことだけは覚えています。

その向かいが、今でもやっているのかどうかは不明ですが、
看板は残っている「岩井」スーパーがありました。

私が小学生の頃、この「岩井」にはしょっちゅう行っていました。
駄菓子も売ってまして、当時話題の「仮面ライダースナック」などを、
買っていたように記憶しています。

また子供が喜びそうなオモチャの類いも売っていたように覚えています。

そして、「岩井」の隣(東側)ですが、「片岡写真館」という写真屋がありました。

その隣(東側)に、確か「日の出」という理髪店がありまして、
何度か散髪しに行ったことがあります。

さらにその隣(東側)には、「日の出寿司」という寿司屋がありましたが、
「日の出寿司」は私が小学校の頃に、場所を引っ越しています。

たしか、宝永町あたりで現在も営業しているのではないでしょうか。

「岩井」「総菜屋」「鳥吉」あたりは、当時、母親に連れられてよく行きました。

ちなみに書店街の名前ですが、
「日の出寿司」「日の出」という理容店など、
日の出という名前がついていたお店があったことを考えると、
日の出商店街という名称だったと思いますが、定かではありません。

この商店街は、地球33番地通りを西に越えて、現在の「フジ桜井店」まで続いていました。
地名でいうと、宝永町です。

宝永町、弥生町、日の出町などの住民は、この商店街を利用していました。

現在の「フジ桜井店」のさらに西側に行くと、
菜園場商店街という、より賑わっている商店街がありましたが、
主婦が徒歩で行くとなると、そこそこ大変な距離です。

なのでうちの母親は自転車で行っていました。

しかし今は、その菜園場商店街も、
数店舗が営業しているのみで、
当時の賑わいはありません。

またまたかなり長くなってしまいました。

今回は、このへんで終わりますが、
また思い出したときに書いていこうと思います。

ただし、そのときには、
「日の出商店街」とか「菜園場商店街」とかのタイトルで書こうと思います。

ところで、トップ画像はまたしても、
“竹下ゆかり”出演のビニ本「SOMETHING」(八起書房)からのものです。

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ビニ本「Love Cats」(八起書房)1984年(昭和59年)10月頃発売

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“竹下ゆかり”出演のカラミビニ本です。

単体のビニ本は多数発売されていますが、

カラミのビニ本は、1984年(昭和59年)08月頃に発売されたビニ本「PASSION パッション」と、
ビニ本「Love Cats」の再生ビニ本「SOMETHING」だけだったような気がします。

また、1987年(昭和62年)になって、
カラミビニ本の裏流出版の、裏本「さくらんぼ」が発売されています。

ビニ本「
Love Cats」が発売された当時、
竹下ゆかりはアダルトビデオ女優として人気が高まっていた頃ですから、

出演したビニ本は、当然話題になります。

ビニ本「Love Cats」のようなカラミ本はとくに注目されました。

そのためか、ビニ本「Love Cats」は、1985年(昭和60年)07月頃、別の版元から再生されます。

元本も再生本も消しは薄めですから、極太チンポが挿入されているところがはっきりとわかります。

しかし、竹下ゆかり本人は、本番していないと発言していました。

ちなみに当時、事務所に属さないフリーのヌードモデルも多数存在していましたし、
竹下ゆかりも最初はフリーでした。

しかし、その後、竹下ゆかりは事務所に所属します。

上記の本番していない発言は、事務所の意向を含んだ、いわゆる大人の事情なのですが、
そのあたりのことについて、私はほとんど興味がありません。

ビニ本「Love Cats」の内容ですが、竹下ゆかりが出ているという理由だけで、
私の評価は高いです。

場所は、ラブホテルではなくてアパートの一室。

背後にラジカセやぬいぐるみが置かれていたり、
なぜか大場久美子の写真があったりと、生活感のある演出がいい感じです。

肝心のプレイはというと、フェラ顔もアエギ顔も可愛いです。

たまに話題にのぼる、盲腸の跡ですが、
知らない人が見たら最初は驚くかもしれません。

私も最初に見たとき驚きましたし、
スケベな気分が少し減退したことも、正直なところです。

それはさておき、オススメは女性上位で下から挿入されているカットです。

チンポは半分くらいしか入っていないのですが、
小さめマンコがこじ開けられている様子がエロいですし、
表情豊かなアナルにもソソられます。

全体的なプレイはまったくハードではありませんが、
竹下ゆかりの本番セックスを見ることができるというだけで、
価値があるのではないかと思っています。

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