おとなの妄想くらぶ

昭和から平成にかけての、
アンダーグラウンドメディアのお話を中心に綴っていきたいと思っています。
ときに、そこから逸脱することもあるかもしれませんが、
よろしくお願いいたします。

小さな、冒険。_01

ビニ本「小さな、冒険。」(ライムライト)1985年(昭和60年)07月頃発売

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初期のビニ本界隈ではとてもよく知られたモデルさんです。

モデル名は“中村絵美”。

中村絵美さん出演の作品を、
以前にも取り上げています。以下です。

ビニ本「1人みだらに指あそび」(桜桃書房)

本作「小さな、冒険。」の発売は80年代なかばなので、
単体ビニ本の再生本です。

中身をみていきますと、

中村絵美さんが、
いろいろなポーズをとっていて、

開脚ポーズもふんだんに出てきます。

ただ、最初から最後までフルヌードになることはなく、
いちばん露出が激しくて、パンツだけとかパンストだけでした。

開脚ポーズがふんだんに出てくると書きましたが、
股間に広範囲なスミベタが入っていて、

マンコのカゲはおろか陰毛も見えません。

せっかくの美人さんなのに残念です。

中村絵美さんは、
私がビニ本や裏本に夢中になったときには、

現役で活躍していませんでしたので、
そこまでの思い入れはありません。

しかし、
こうして再生された作品をみると、

美乳でスタイル良し、ルックスも美形なので、
人気だったのも納得です。

ところで中身の最初のページに、
“アイボリーのタオルの中で”というキャッチコピーが書かれていました。

おなじページのカットは、
ピンク色のタンクトップに白パンツの中村絵美さん。

どうでもいいことですが、

最後までアイボリーのタオルは出てきませんでした。

というわけでオレンジ通信です。
以下、紹介文の全文です。

“ 外見はとってもヤーらしいのですが、
では黒袋の中からとり出してみると、
全くごくあたり前の、しかもおとなしい単発本なのであった。
中村絵美の股間は黒ベタだ。”

そして以下は、添えられていた見出しです。

“いかがわしい包装の中身は……?点”

たしかに本作「小さな、冒険。」は、

黒い紙袋のなかに本体が入っており、
一般的なビニ本のように、購入前に表紙や裏表紙を確認することはできません。

といいますか、
本作本体の表紙は黒い袋の表紙のモノクロ版で、裏表紙は白紙でしたから、

それらが見えても仕方がありません。

ちなみに、
裏表紙に写真はなにもなく真っ黒なだけです。

続いて、
ボディプレスの紹介文も以下に載せておきます。


“ 烈悪スミベタ再生古本。
これが今じわじわと出廻りはじめているブラックパックビニ本か。
ブラックパックビデオは、過激だそうだけど、
ビニ本のブラックパックは、へも出ないできだね。
中村絵美ちゃんがでているのは今じゃたしかに珍しいけど、
それだけだね。無神経な修整に腹が立つ。   (修)”

袋を黒にして過激な雰囲気を出していたにもかかわらず、
中身はスミベタばかりということでした。

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女優志願_01

ビニ本「女優志願」(KENBUNSHA)1985年(昭和60年)03月頃発売

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スケベそうな雰囲気が漂うお姉さん。
顔も表情もエロいです。

それに加えて、
お姉さんが濃厚なザーメンを唇に浴びせかけられ、

そのまま垂れ落ちた、
左下のカットも気になります。

以前におなじお姉さん出演の作品を取り上げています。
以下です。

裏本「STRAWBERRY」
裏本「冬物語」

本作「女優志願」は、
「冬物語」とおなじカットが見られます。

まったくおなじ内容なのかどうかは、
確認しませんでした。

というのも、
現状だと取り上げた作品は、

「あいうえお」順に整理しているのですが、
「ふ」の欄に見あたらなかったからです。

何度も何度も、
おなじ部屋のなかで移動させており、

ときどき行方不明になります。

そのため、
どこかに紛れているに違いありません。

それはともかく、
本作「女優志願」は、

浴衣姿のお姉さんが、
和風旅館らしき部屋で、男にハメられるというシンプルな内容です。

裏本のオモテ再生だと思うので、
ビニ本のオリジナルカラミのように疑似本番ではなく、

マンコにチンポが突き刺さっているのでしょうが、
結合部分はスミベタが入っていて、確認できません。

薄いスミアミが入っている結合部分も複数ありましたが、
キンタマがジャマをして、

マンコにチンポが本当に突き刺さってるかどうか、
わかりませんでした。

一方、
チンポしゃぶりのカットとマンコ単体は、

消しが薄いです。

マンコ亀裂の内部から、
白濁マン汁がこぼれ落ちそうになっているカットも、

薄い消しのおかげでよく見えます。

そしてラスト付近では、
ドロドロの口内発射です。

版元は、
口内発射が本作のウリだと確信しているのでしょう、

ラストの5ページが使用され、
口内発射のカットが展開されています。

最初は、
口を閉じているお姉さんですが、

そのあと、
口を開けたところに、

発射直後のチンポを口内に押し込まれています。

挙句、
表紙左下カットのような有様に。

カラミもフェラも、
淡々とこなしている感が強いように見えるお姉さんですが、

口内発射のときも、
とくに嫌がるような表情ではなく平常運転っぽく見えました。

さてオレンジ通信です。以下、紹介文の全文です。

“ 見聞社からKENBUNSHAに変わってより、
もうメチャクチャにハード路線なんでありますネ。
表も裏も境目がなくなって、
もはや両刀使いと申してもおかしくないほど過激なのだった。
 本書の見所は必殺の顔面スペルマ口内発射であります。
たった一枚の写真が、これほど有効に作用するとは……、
千摺実用向けの決定的一枚だ。”

そして以下は、添えられていた見出しです。

“もうハッキリ云ってKENBUNSHAはやけくそなんだよね。
顔面口内発射のスルドサは美好クン向きです。 80点”

高得点でした。ちなみに“美好クン”とは、
おそらく、当時のライターのひとり、“ラッシャーみよし氏”のことです。

ところで私は、
口内発射を見ても、そこまで興奮しません。

口内発射でも、マンコ内発射でも、オナニーの無駄打ちでも、
射精の瞬間は気持ちがいいのですが、

誰かが誰かの口内にザーメンを注ぎ込んだ写真を、
オナネタには使おうと思ったことはありません。

おなじお姉さんの別作品「STRAWBERRY」は、
脱糞シーンがありますので、

まだそっちのほうが、
私にはオナネタ要素が強いです。

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TOMATO CLUB トマトクラブ_00

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今回は私の昔話です。
ビニ本や裏本の話ではありません。

タイトルからわかるように、
たいしておもしろい話ではありません。それにかなり長くなってしまいました。

そのため、
ビニ本や裏本を期待していたかたは、

ここで引き返したほうがいいかもしれません。

そのまえに、トップ画像は、
以前に取り上げたことがあります、

ビニ本「TOMATO CLUB トマトクラブ」(企画室パールショル)出演のお姉さん。

清楚っぽく見えて、
ヒワイな雰囲気もあるお姉さん。

加えて、
かたちの良いバストもステキです。

というわけで、
今回のお話をはじめていきたいと思います。

私が学校を卒業してはじめて就職した会社でのお話です。

東京に本社のある、
それなりに大きな会社でした。

その広島支店で私は勤務していました。

わかりやすくするためと、
私の頭を整理する意味もあって、

はじめに、今回の登場人物を以下に列挙しました。

Y課長……総務課の課長
松下課長(仮名)……Y課長の前任者
千恵さん(仮名)……私の同期のOL
私(営業職でした)
井上(仮名)……私の同期の男性社員で岡山支店勤務

以上、5人です。千恵さんと井上と私は、入社1~2年目で20代前半。
Y課長と松下課長は50代後半だったと思います。

井上以外の4人は、広島支店勤務です。

前任者の松下課長と入れ替わりで、
Y課長は赴任してきました。

ちなみに松下課長は、
山陰地方の出身でしたが、東京本社の勤務が長く、

「満員電車が懐かしくてね~」という話をよくしていました。

私は当時、
首都圏の満員電車に乗った経験は、

東京本社研修時の1か月間だけでしたが、初日から逃げ出したかった記憶があります。

しかし、あの殺人的なラッシュを懐かしむとは、
どんだけ社畜(当時はそんな言葉ありませんでしたが)なんだと、
思っていましたし、

どこにでもいそうな、
退屈な人物というのが私の感想でした。

Y課長が松下課長の代わりに赴任してきたのは、
たしか私が入社2年目の4月だったと記憶しています。

Y課長は隣県の岡山支店からの赴任でした。

ほかの多くの社員は、
Y課長が広島支店に赴任してはじめて課長のことを知ったと思います。

しかし、
私は事前にY課長と面識がありました。

話は、
そこから半年ほど前にさかのぼります。

私は連休を利用して、
岡山支店の同期の井上のところに遊びに行きました。

広島支店の私が、
なぜ岡山支店の井上を知っているのかといいますと、

会社は全国に支店がいくつかあり、
入社時に東京本社で一部の新入社員が集められて研修があったからです。

そのときに知り合いました。

その井上と、
岡山駅付近の歩道を歩いているとき、

向こうからひとりのおやじが歩いてきました。
井上がおやじに気がつき、近づいたときに挨拶。

それがY課長でした。
当時は岡山支店勤務です。

Y課長は昼間からすでにいい具合に酔っ払っていて、
話をするときはすこしチック気味。

それなりに特徴のある人物でした。
私は好感を持ったことをおぼえています。

そのため、
広島支店でY課長に遭遇したときは、

すぐにわかりました。

ところで、
当時の私は、会社をよく遅刻していました。

朝礼の最中にこっそりオフィスに入っていき、
朝礼が終わると自分の席にそそくさとつくということが少なくなかったです。

自分には向いていない仕事だと思っていましたから、
翌日会社に行くのがいやで夜更かししてしまい、

朝起きれないということが続いていました。

大幅な遅刻ではなくて、
5分程度でしたが、遅刻は遅刻です。

当時の広島支店の出欠は、

会社の入口を入ったところにある机のうえに名簿が置いてあり、

自分の名前が書かれた欄に印鑑を押します。

そして出勤時間と同時に、
総務課の女子社員が名簿を片付けます。

遅刻した私が会社の入口から入ったときには、
名簿はなく、当然名簿に印鑑も押していません。

遅刻でなく欠勤でも欄はおなじく空白になりますが、

遅刻なのか欠勤なのか、
総務課がどうやって見分けていたのかは記憶にありません。

というわけで、
週に2度3度遅刻していたある日のこと、

Y課長が唐突に、
「〇〇くん、朝来れないんやったら、
わしが押しとくけ印鑑渡しといてや」、

という話をしてきました。

私はすこし驚きましたが、
せっかくそういってくれてるならということで、

たしか後日、
Y課長に印鑑を預けました。


Y課長にずっと渡しておいたとしても、
出勤時以外で、普段印鑑を使う機会はそうないですし、

そもそもシャチハタなので、
必要なら、そのときまた買えばいいと思っていました。

そのあとも私は、
何度も遅刻してしまいます。

Y課長のおかげで、記録上は遅刻になってないとしても、
朝礼の最中にそそくさと入っていきますから、

遅刻はバレていますし、
相変わらず印象は悪いです。

そんなある日のこと、
同期OLの千恵さんから怒られてしまいます。

「〇〇くんだけ、なんで遅刻にならんの? うちらちゃんと来とるのに!」

総務課にも、千恵さんとは別の同期OLがいたので、
その彼女から聞いたのかもしれません。

つめられた私は、
「いや~、それは…その……」と、

のらりくらり返答したまではよかったのですが、

小心者で姑息な性格の私は、
「Y課長が遅刻にならんようにしてくれるって言うてきたんや」と、

自分は悪くないといわんばかりのことを、
ついつい話してしまいます。

あとで冷静にかんがえてみて、
あらためて思いましたが、

出勤について不正をしていたということですから、

それがまかり通るなら、
社員が出勤時に、名簿に印鑑を押す意味がなくなってしまいます。

ちなみに、広島支店の組織は、
各課の課長のうえは支店長です。

ほかの多くの社員よりも立場がうえの課長が、
不正の片棒を担いでいたということになり、

問題視される案件だろうと思います。

当時私は、
販売課に所属していて、いちばんの新入りでした。

入社2年目におなじ課に入ってきた新人はいなかったため、
いちばん下なのは2年目もおなじです。

いちばん下なうえに、

コミュニケーションに難ありでしたから、
いろいろな書類の作成を、同じ課の先輩の内勤社員(全員女性社員でした)には頼めず、

営業先から会社に戻ってきてから、
自分でワープロ打ちしていました。

そのため、
いつも帰りが遅くなります。

もちろん残業代は出ませんし、請求したこともありません。

取引先から指定された期日に間に合わないときは、
当時住んでいたアパートに会社のワープロを持ち帰って、

休みの日にやっていました。

会社の備品を自宅に持ち帰るのは、
おそらく社則違反ですが、

いまよりもそのあたりはずっとアバウトでした。

それはさておき、

遅刻は多いが、
毎日遅くまで残っている要領の悪い私を、

Y課長が不憫に思い、
遅刻しなかったことにしてくれたのかもしれませんが、

Y課長の真意を確かめたことはありません。

Y課長が、
私の遅刻を帳消しにしていた件は、

そのあと支店内で、
大きな問題にはなりませんでした。

すくなくとも私は、
同期の千恵さん以外から、

とがめられたことはありません。

私はそのあと、
入社から2年半でその会社を辞めましたので、

Y課長と会うこともなくなりました。

Y課長は、
まじめで会社に忠実に見えた前任の松下課長とは違い、

C調でスチャラカな人物だったと思っています。

そうでなければ、
私にそんなことを言ってくるはずはありません。

チック気味の印象的な表情で、
私に話しかけてきたのをいまでも強烈におぼえています。

私によくしてくれたという理由ではなく、
Y課長のようにアバウトで人間味あふれる人物に、

私は憧れます。

いま、当時のY課長とおなじくらいの年齢になった私ですが、

なんのメリットもなく、
ともすれば自分が糾弾されかねないことに自ら手を染めるような、

そんなステキな人物では到底ありません。

立場がうえの人間や自分よりえらい人間の、
顔色をうかがうことに全神経を使うような、

ケツの穴のちいさい人間です。

また、若くて思慮深くなかった
当時の私は、

Y課長のことをそんなふうに考えたことはなく、

そのことをいまさらながら反省しています。

とても長くなりましたが、
今回の話は以上です。

ところで最近の私は、

会社にかぎらず、
朝はやい時間にどこかにいく必要があっても、

遅刻することはなくなりました。
歳をとったので朝早く起きてしまうからです。

それから、
遅刻の件で私のことを責めた同期の千恵さんは、

瀬戸内海の島出身の田舎者で、
学校のグラウンドをイノシシが走っていたという話をしていた記憶があります。

彼女はいまもずっと広島市に住んでいます。

私が会社を辞めてからは、彼女ともいちども会っていませんが、
いまだに年賀状のやり取りをしています。

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