おとなの妄想くらぶ

昭和から平成にかけての、
アンダーグラウンドメディアのお話を中心に綴っていきたいと思っています。
ときに、そこから逸脱することもあるかもしれませんが、
よろしくお願いいたします。

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今回は、
かつて高知市を中心に展開していた古本屋のお話です。

ビニ本や裏本の話は出てきません。

例によって、私の昔話ということを、
はじめにお断りしておきます。

ぷくぷく書店を知らないかたが、
ほとんどだと思いますので、

どんな古本屋なのかをわかりやすく説明しますと、

ブックオフを三段階くらい、
汚くした古本屋です。

本や雑誌の整理も、
ブックオフを数段レベルダウンしたみたいに、雑然としていました。

もちろん入店時に、
店員の挨拶はありません。

あと、
ブックオフができて、あらためて気がつきましたが、
ぷくぷく書店は照明が暗かった印象があります。

というわけで、
私は、ブックオフと比較して書きましたが、

どうしてかといいますと、
ぷくぷく書店がチェーン店の古本屋だったからです。

最初に私が、ぷくぷく書店を知ったのは、
たしか1985年か1986年ごろでした。

漫画好きな同級生に、
「面白い本屋がある」と教えてもらいました。

高知市内の大橋通りという中心街にある、
ビルの2階にあったように記憶しています。

品揃えはほぼ漫画です。
文庫本や若者が好きそうな雑誌もあったかもしれません。

そのうち、
高知市内のあちこちにぷくぷく書店の店舗ができていき、

私は複数の店舗に通うようになりました。

ぷくぷく書店は革命的な古本屋でした。
そう思った理由は4つです。

1つめはチェーン店だったこと。

高知市内という限られた地域内とはいえ、
それまでチェーン店の古本屋は見たことありませんでした。

古本屋といえば、
店内も決して広いとはいえず、

ほぼ家族経営で、
店番は夫婦で交代というようなのが多かったと思います。

2つめは営業時間です。

ほぼ全店が、
午前10時から夜の12時までの営業です。

営業開始時間はほかの古本屋とおなじですが、
終了時間の遅さは、私のような古本屋好きにはとても嬉しかったです。

ほかの古本屋は、

家族経営ですから、
店をしめるのはだいたい夜の7時か8時ごろです。

つまり、
私はぷくぷく書店が登場するまで、

そんなに遅くまでやっている古本屋に出会ったことがありませんでした。

当時、
郊外にある新刊書店は夜の12時まで営業しているお店がありました。

しかし、
古本屋で、そんなに遅くまで営業しているのは、
ぷくぷく書店だけでした。

3つめは、
店内が広いことと本の多さです。

なかには比較的狭い店舗もありましたが、
古本屋の常識から考えると、とても広い店舗が多かったと思います。

また、本の種類と数が多いです。

あとに書きますが、
何でもかんでも買取してくれたという理由があると思っています。

そして4つめ、
店番はバイトで、たまに若いお姉さんがいたことです。

これも古本屋の常識からいくと逸脱しています。
私が知っている古本屋は、おばはんか、おっさんが店番でした。

たしかに、
そのほうがエロ本は買いやすいというメリットはあるかもしれません。

しかし、
若い娘さんが店番をしていたことは新鮮でした。

普通どんな店でも、
若い娘さんがいるとある程度は華やかな雰囲気になるのですが、

ことぷくぷく書店にかんしてはそうならず、
置かれた漫画や書籍や雑誌の膨大な数と、

その雑然さのほうが勝っていたような気がします。

つげ義春に、
「古本と少女」という漫画があります。

主人公の学生が、
目当ての本欲しさに、足しげく通う古本屋の店番が美少女なのですが、

その美少女はバイトではなくて、
古本屋の娘です。

なにがいいたいのかというと、
古本屋でバイトが店番をしているというのは、

私がそれまで知っていた古本屋では見たことがありませんでした。

というわけで、
以上4つの特徴をあげましたが、

これらはあとになって気がついたことです。

その当時は、言葉にできてませんでした。

しかし、ぷくぷく書店が、
いかに革命的な古本屋かということは、

私をふくめた常連たちは、
直感的にわかっていたと思います。

ネット情報をさぐると、

ブックオフが全国フランチャイズ展開を開始したのが、
1991年という情報がありました。

高知県に進出したのは、
おそらく2000年以降のことではないでしょうか。

最初にブックオフをみたとき、
「これは…かなりキレイなぷくぷく書店やな」と思ったことを覚えています。

漫画の中古価格を全国統一したのは、
まんだらけといわれているようですが、

まんだらけにしても、

全国から中古の漫画を集めるのは、
1990年代の後半くらいだったと思います。

当時のぷくぷく書店は、

買取価格はいい加減で、
プレミア価格という概念はないですから、

それなりの価格で買い取ってはくれましたが、
バカ高い買取価格はありませんでした。

その一方で、何でも買い取ってくれましたから、
高知市内の古本が大量にあつまり、

お宝と呼べるようなモノに出会う機会も数多くありました。

こうして書いていて気がつきましたが、
旧来の古本屋と違い、

要らない本や漫画を持ち込みやすかったのも特徴でした。

旧来の古本屋は、
ともすれば持ち込みの心理的ハードルが高いですから。

ところで、
漫画中心のぷくぷく書店も、

時代の変化によって、
主力商品が漫画からゲームソフトに移ります。

1990年代後半のころではなかったでしょうか。

相変わらず、
漫画や書籍、雑誌などは大量に置かれていましたが、

そのほとんどは動かない在庫となっており、
頻繁に売れるのはゲームソフトだったようです。

「全国古本屋地図」(日本古書通信社発行)という本があります。

ぷくぷく書店が最初に登場するのは、
'89年版です。

以下の記述がありました。

“コミック物を主とした店であるが、
開店の歴史が浅いにも拘わらず確かな運営によってよく繁盛している”

この店舗が、私が最初に行った、
大橋通りのぷくぷく書店です。

そしておなじ「全国古本屋地図」の'96年版では、
以下の記述があります。

“新しい古本屋で、文庫・コミック中心ながら急成長した”

“県内に全部で八軒、高松市にも支店を出している”

高知県内、
そしてせいぜいで高松市への進出ですが、

ぷくぷく書店の功績はとても大きかったと思います。

なにより私に、

新刊書店にかぎらず、古本屋をふくめ、
あちこちまわることの楽しさを教えてくれました。

私は大学4年生の1年間、
古本屋でバイトしたことがありますが、

売れるのは漫画と雑誌、
それもエロ雑誌の類いです。

あと、文庫本の小説も多少売れるかもしれません。

しかし、
いわゆる小難しい書籍は売れません。

地方都市ではなおさらです。

そのことは、古書店界隈では、
常識なのかもしれませんが、

売れ筋の漫画に特化した店づくりだったことも、
ほかの古本屋にはない、ぷくぷく書店の特徴だったと思います。

そんなぷくぷく書店ですが、
いまはもうありません。

検索すると、
高知市内で“ぷくぷく”という古本屋がヒットするのですが、

おなじ店なのかどうかはわかりません。

ぷくぷく書店がいつまで営業していたのか、
私は記憶にありません。

たしか末期は、

高知港に近い場所に、
とても広い倉庫みたいな店舗があったように記憶しています。

バカでかい店内に、
店番はお姉さんがひとりでした。

高知に帰省したときに、
何度も行きましたが、そのうちそこもなくなります。

その店舗が最後だったのではないでしょうか。

ぷくぷく書店の話は以上です。

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※追記

お知らせで書きましたが、
今回の記事を最後に、新たな記事のアップは一時休止したします。

今後は、
1年目、2年目の記事を中心に、

オレンジ通信の紹介文を書き足すかたちで、
過去の記事を更新していこうと思っています。

これまで、新規記事の更新は、
こっそりと深夜の3時に設定していました。

しかし、
今後の更新は決まった時間ではないかもしれませんし、

これまでのように、
月曜日~木曜日の週4日間でもないかもしれません。

そのへんはまだ未定です。

繰り返しになりますが、
いろいろと知ることの多い5年半でした。

これまで見てくれたかたがた、
本当にありがとうございました。

トップ画像は三浦ルネさん。

裏本「momoko モモコ」からのカットです。

「momoko」でブログをスタートしましたので、
最後も「momoko」にしました。

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PONNY_111

「オレンジ通信」(東京三世社)1982年(昭和57年)~2009年(平成21年)

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今回は、
私のスペルマ臭い青春と並走した「オレンジ通信」について書きました。

オレ通の内容的なことよりも、
雑誌のサイズについて注目した内容の記事になりました。

オレンジ通信はなぜあのサイズだったのか、
このブログをはじめて以降はとくに疑問に思っていたからです。

その話に入るまえに、
オレンジ通信の概要についていまいちど振り返ってみます。

1980年代当時、
ビニ本や裏本、裏ビデオにアダルトビデオを紹介しているエロ本は、

数多くありました。

オレンジ通信は、
そのパイオニアであり第一人者でもあったため、

ビニ本や裏本などを購入しようとするマニアには、
絶大な信頼を得ていたのではないかと思います。

かくいう私も、
信頼を置いている一方で、

そこまで熱心な読者ではありませんでした。

購入した回数でいうと、
アップル通信のほうが多かったかもしれません。

カラーページが多くてエロい内容が多いように見えたからです。

それに反して、オレ通は記事ページが、
それなりに多い印象がありました。

以前の記事のなかでも書きましたが、

裏本業者がどうとか、
ビニ本の発禁がどうとかいう記事ページがあったとしても、

血気盛んな童貞青年には、
最優先すべき内容ではありませんでした。

というわけですが、

あらためて、
オレンジ通信はどんな雑誌だったのかを振りかえってみました。

まず概要について、
「日本エロ本全史」(安田理央・著 太田出版 2019年7月14日発行)を参考にしました。

それによりますと、創刊は1982年です。

また、
“2004年からはDVDを付録につけ、大型化する、”

と書かれていました。

私がオレ通と並走していたのは、
1980年代半ばから後半にかけての一時期だけですから、

DVDが付録になり、
大型化したときには、オレ通への興味は残っていませんでした。

大型化というのは、
具体的には、B5サイズからA4サイズになったことです。

加えて、背表紙のない、いわゆる中綴じになりました。

一方、
大型化する前は、
背表紙のある、いわゆる平綴じと呼ばれるタイプの雑誌でした。

「B5・平綴じ」です。

B5というのは大学ノートのサイズです。

繰り返しになりますが、

私が今回、
オレ通について書こうと思ったことの中心は、

B5という判型のことです。

オレンジ通信創刊前夜、
どのようなエロ本が発行されていたか、
以下に列挙しました。

これも、「日本エロ本全史」を参考にしました。

「GORO」(小学館)1974年創刊
「映画の友」(近代映画社)1976年創刊
「ウイークエンドスーパー」(セルフ出版)1977年創刊
「バチェラー」(大亜出版)1977年創刊
「ズームアップ」(白夜書房)1977年創刊
「ヘイ!バディー」(白夜書房)1980年創刊
「ビリー」(白夜書房)1981年創刊
「写真時代」(白夜書房)1981年創刊
「アクションカメラ」(ベストセラーズ)1982年創刊
「スコラ」(講談社)1982年創刊

上記の雑誌をすべて思い浮かべることができるかたは、
けっこうなエロ本ユーザーだと思いますが、

それはさておき、
上記のなかでB5サイズは「ズームアップ」だけです。

残りはすべてよりもB5よりも大きなサイズの雑誌です。

「映画の友」や「ウイークエンドスーパー」、
「ズームアップ」は、

純粋なエロ雑誌といえないという意見もあるかもしれません。

そのため、
(エロ+サブカル)雑誌と言いかえてもいいのですが、

いずれにしても、
B5サイズの雑誌は、主流ではありません。

またB5の「ズームアップ」は、
背表紙がない中綴じのタイプです。

一方、
オレンジ通信は「B5」で「平綴じ」。

当時発売されていた、写真がメインのエロ雑誌では、
めずらしい判型だったといえます。

「アップル通信」「さくらんぼ通信」「バナナ通信」
「ギャルズ通信」「ボディプレス」「マスカットノート」ほか、

これらが、
「B5・平綴じ」だった理由ははっきりしています。

オレンジ通信のフォロワーだからです。

つまり、

「~通信」系のエロ雑誌は、
オレンジ通信のような雑誌をつくりたいことが、
創刊の大きな理由だったと思われますので、

「B5・平綴じ」の理由は説明がつきます。

ただ、ここでひとつ気になることがありまして、

それは以下の記述です。

「日本昭和エロ本大全」(2020年7月1日発行 辰巳出版)の引用です。

“84年には三和出版から『アップル通信』が創刊。こちらものちに『オレンジ通信』同様、
AV情報誌として長く刊行されるが、創刊時は普通のエロ本であり、
ビニ本・裏本・裏ビデオ情報誌へと変貌していく過程も『オレンジ通信』と同じであった。”

私は、「アップル通信」の創刊当初の雑誌を見たことがありませんので、
自身の記憶をたどることはできないのですが、

創刊時は普通のエロ本だったようです。

であるならば、オレンジ通信同様に、

なぜ、当時のエロ本としてはめずらしかった、
「B5・平綴じ」だったのかという疑問が出るわけですが、

一方がオレンジで、一方がアップル、

さらに“通信”は共通ということで、
フォロワーのひとつといっても差しつかえないのではないかと思います。

いろいろと書いてきましたが、
私がいいたいことを簡単にまとめると、

なぜオレ通は、
当時の主流だった比較的大きなサイズの雑誌ではなかったのかということです。

ボディプレスの1986年4月号に参考になる記事がありました。

「エロ本バトルロイヤル座談会 第2回
カラーページの特写を考えたのだ。」のなかの記事です。

以下、抜粋しました。

トーラ そういう意味でもさ、エロ本の歴史って判型の変化の歴史でもあるんだよね。
かってA4判のエロ本というのはなかったわけです。
でも『GORO』の登場によって触発されたところが大きくて、
昔、サン出版の『ザッツ・エロス』というグラフ・プラス・実話みたいな本があって、
それが業界発のA4判雑誌だって僕は聞いてます。
『ギャング』『ギャルズ・アクション』『ビリー』『ヘイ・バディ』と、
2~3年前まではほとんどすべてと言っていいくらいA4判だったでしょう?
その流れを変えたのが『写真時代』なんです。
奥出 ああ、A4判変型ね。
  ~中略~
トーラ 『VW(ビデオ○ザ○ワールド)』なんかもそうなんだけど、
変型っていうのは記事物やコラムを作りやすいんです。
で、さらに言えば『オレンジ通信』でまた流れが変ったんですね、B5判に。
記事を重視するならB5判の方がもっといいト。”

ちなみに、
“エロ本バトルロイヤル座談会”とはなにかというと、

エロ本業界に携わる編集者やライターのかたがたが、
ひとつのテーマについて語り合うという企画です。

“トーラ”とはボディプレスの初代編集長で、
“奥出”とは奥出哲雄氏のことです。

また、
“業界発”は、“業界初”の誤字だと思います。

それはともかく、
ビニ本や裏本、裏ビデオの紹介ページが固定化されるにつれて、

オレ通は、
どちらかというと記事中心のエロ雑誌として、

定着したように思います。

しかし、
“創刊時はグラビア中心のごく普通のエロ本であった。”(「日本エロ本全史」)とのことですから、

結果的に記事重視の内容になったわけでして、
なぜ「B5・平綴じ」でスタートしたのかは依然としてなぞです。

というわけで、
私の疑問は解明されませんが、

当時、熱心なエロ本の読者だった私は、

エロ本やビニ本などにかんすることについて、
あれこれと考える時間がとても楽しいので、

着地点がなくても満足です。

それから、
またおなじ話を繰り返してしまいますが、

買った回数でいうと、
オレンジ通信よりも、

むしろアップル通信のほうが多かったと思います。

内容的な理由のほかには、

アップル通信のほうが、
オレンジ通信よりも紙質が良かったからです。

情報量はさして変わりませんから、
紙質や質感のいいアップル通信をおもに選んでました。

オレンジ通信は、
アップル通信にくらべて、表紙がペラペラで、

モノクロページはとくに、
アップル通信にくらべれば、紙質が良くなかった記憶があります。


というわけで、
オレ通の話は以上です。

最後になりましたが、
トップ画像は、竹下ゆかりさん。

ビニ本「PONNY ポニー」(ドルフィン企画)のカットです。

眩しいくらい可愛いです。

どの作品も、
天真爛漫な雰囲気があって大好きです。

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ERO for AFRICA_01

レコード「ERO for AFRICA」1985年(昭和60年)09月頃発売

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今回はレコードを取り上げました。
このレコードはいったいなんなのかということですが、

私が説明するよりも、

このレコードを取り上げた、
当時のエロ本を引用したほうがいいと思いました。

以下は、
ボディプレスの記事の一部です。

“あの〝USA FOR AFRICA〟に感動した中野D児が、
『オーッ、こりゃうちらも何かやらんきゃいかんぜ!』とばかりに、
ERO業界有名人に『アフリカの飢えた人々を救いたいんだ。
それには君の力がいる。ウン、そー、ボランティア、
だからノーギャラよ。』と言ったかどうかは知らないけど、
とりあえずかき集めた訳。”

“USA FOR AFRICA”、
昭和世代には説明不要と思いますので、
あえてくわしくは触れません。

USA FOR AFRICAで集まったのは、
アメリカのアーティストたちでしたが、

ERO for AFRICAは、
当時のエロ業界の面々が集まり、

このレコードをリリースしたわけです。

私は当時、
人よりも多くのエロ本に目を通し、

ときに購入していました。

そのため、

愛読者だったボディプレスで取り上げられていて、
このレコードの存在を知りました。

しかし、
よく通っていたアダルトショップにこのレコードは置いてなく、

見つけたのはレコード店でした。レコードですから、
エロ本屋には置かれていないのは当たり前です。

見つけて即買いしました。

ちなみに、
このレコードは、いわゆる12インチの大きさで、

普通のアルバムサイズですが、

収録されているのは、

A面1曲、B面4曲です。ミニアルバムといったところでしょうか。

今回、
記事のあとに裏のジャケットを載せました。

そのあとには、
ジャケットのなかに入っていた、

歌詞が書かれた紙の表と裏を続けて載せました。

楽曲を聴いてもらうのがいちばんいいのですが、
このブログではそんな機能はありませんし、

いま私はレコードプレーヤーを持ってなく、
レコードを再生できる環境ではありません。

レコードを購入した当時、
何度か聴いただけです。

それはともかく、

本レコードでは、

モデルさんだけでなく、
カメラマンや編集者、ライターという、

いわゆる裏方の人たちも歌っています。

いまでいうセクシー女優のかたがたが、
レコードやCDをリリースする動きは、

当時そんなにめずらしくありませんでした。

しかし、
インディーズとはいえ、

エロ本づくりに携わる人たちが、
モデルさんといっしょになって、レコードをリリースしたのは、

唯一無二ではなかったでしょうか。

エロ業界の勢いを感じてしまいます。

エロ雑誌がコンビニに置かれなくなり、
読者の高齢化が叫ばれる令和のいまは考えられません。

ところで、ボディプレスの記事によると、

鶴巻温泉というところで、
レコーディングがなされたようですが、

後日都内で、

“歌入れ風景のビデオ撮り”もおこなわれたとのことです。

さて、肝心の楽曲ですが、
私は歌とか楽器がまったくダメなので、

誰かの歌をあれこれコメントする資格はないですが、
A面の代表曲は、とてもキャッチ―でいいメロディだと思いました。

B面は覚えていません。

全体的な感想としては、
とても楽しそうということです。

モデルさんたちは、
別に脱ぐ必要はないと思いますが、全員が上半身裸なのも良いです。

本家のUSA for AFRICAは、

たしか、
レコードだけでなくTシャツもあったように記憶しています。

もしも、
ERO for AFRICAがTシャツを販売していたら、

勢いでつい買ってしまったかもしれません。

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ERO for AFRICA_02

ERO for AFRICA_03

ERO for AFRICA_04

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